頂点を極めた男がオリンピック(五輪)初出場のイスラエルの夢に乗る。イアン・キンズラー内野手(38)。走攻守そろった選手でメジャー通算1999安打、257本塁打。球宴4度出場、ゴールドグラブ2度受賞と栄誉が続く。極め付きは生まれ育った米国の代表で17年WBC世界一に、レッドソックスでの18年ワールドシリーズ制覇が野球人生に添えられる。栄光を極め尽くして19年オフにユニホームを脱いだ。

イアン・キンズラー(2011年5月3日撮影)
イアン・キンズラー(2011年5月3日撮影)

そのころ、イスラエル代表の幹部から電話が入った。「代表チームに興味があるか?」「もちろん100%ある」。プロ選手としてではなく、五輪限定での復帰を決断した。「私が育った国だから、米国を代表することは間違いなく名誉。しかし自分が受け継いだもの、自分の血統というか、自分が自分である理由の1つ、これらを表現できることはまた別のことであり、これもまた名誉なことだ」と世界野球ソフトボール連盟(WBSC)のインタビューに答えている。

同国内の野球人口は1000人あまりと言われる。それでも地道に子どもたちに野球を教え、各地での球場建設も予定している。活動を見聞きし「彼らが青少年活動のためにしていること、達成しようとしていること、そしてどんなに彼らが競技を愛しているかを見ていると、自分が好きなものを育てる機会があればどんなことでもしてあげたいと思うものだ」と心打たれた。

キンズラーの夢が膨らむほど、イスラエルは劇的な五輪出場を果たした。19年の欧州・アフリカ予選で本命視されたオランダ、イタリアを破り、ジャイアントキリングを遂げた。その瞬間は侍ジャパン稲葉監督も遠いイタリアの地で生で目撃。「野球は分からない。怖い」。勝負ごとの真理を野球新興国が示した。

日本のプロが出場したイスラエル戦
日本のプロが出場したイスラエル戦

勝負に絶対はない。キンズラーの動機も思いを強くする。

「願わくば、オリンピックでいい試合、いいプレーをしたい。そしてメダルを獲得してイスラエルの人たちに野球と青少年野球活動のことをもっと知ってもらいたいと願っている。オリンピックでいい試合ができれば、そこで野球が発展するはず」

イスラエルが団体球技で五輪に出場するのはサッカーで出場した76年モントリオール五輪以来。サッカーとバスケットボール人気が高いという国民に野球熱を高める伝道師となるべく、1大会限りの現役復帰に臨む。【広重竜太郎】(この項終わり)