<全国高校野球選手権:高松商14-4佐久長聖>◇11日◇2回戦◇甲子園

失敗を修正してすぐさま結果を出してみせた。高松商・浅野翔吾外野手(3年)の5回の打席だ。3回に三邪に打ち取られた速球を、右翼席に押し込んだ。「体の前で打って、右手で押し込めたからだと思います」。7回にはスライダーを、豪快に左翼席にたたき込んだ。「完璧でした。手応え十分」。本人も納得する2打席連続のホームランになった。

高松商対佐久長聖 5回表高松商2死、浅野が右中間に本塁打を放つ(撮影・加藤哉)
高松商対佐久長聖 5回表高松商2死、浅野が右中間に本塁打を放つ(撮影・加藤哉)

こんな浅野に「中西2世だ」の声があがる。香川・高松市出身のホームラン打者。ずんぐりした体形もあるのだろう。残念ながら「怪童」と呼ばれた中西太氏(89)の高校時代は見ていない。本人に当時のことを聞いたことはある。「ワシのことをホームランバッターというけど、それは違う。足は速かった。100メートル12秒前後。講演でイチローの若いころとどっこいどっこいやと言うたら笑われたけどな」。

高松一時代の中西は1951年夏、甲子園で2本の本塁打を放った。左中間、右中間各1本のランニングホームランだった。1本目は、のちに大洋(現DeNA)入りし、通算193勝を挙げた岡山東・秋山登から放っていた。「バットを寝かせて、ライナーを打っとったから」。当時の身長は、浅野より2センチ高い172センチだった。

高松一高時代の中西太
高松一高時代の中西太

本塁打を量産するようになったのはプロ(西鉄)2年目の53年からだという。「バットを立てて、引きつけて打つようになった。1年やって、このままではプロの投手は打てんと。死に物狂いでやったな」。打法改造し、飛距離を出そうとバットも変えた。「他人より長い、重いやつにな」。1年目の12本塁打は3倍の36本に増えた。20歳の若さでトリプルスリー(3割、30本塁打、30盗塁)を達成した。

浅野は9回、左翼線を襲う二塁打も放った。その走りっぷりは、自画自賛した郷土の大先輩にも負けていなかったろう。高校時代の本塁打でいうなら、浅野の方が上。「早熟」といえるかもしれない。

高松商対佐久長聖 9回表高松商2死二塁、浅野は左適時二塁打を放つ(撮影・岩下翔太)
高松商対佐久長聖 9回表高松商2死二塁、浅野は左適時二塁打を放つ(撮影・岩下翔太)

浅野の2発に導かれた高松商は佐久長聖に16安打を浴びせて大勝した。3回戦では九州国際大付と対戦する。「1番打者として出塁を目指した結果が本塁打につながった。次の試合も1番打者として役割を果たしたい」という。かつて甲子園に現れた本塁打男は、そのほとんどが4番打者だった。浅野は違う。プレーボールから見逃せない。【米谷輝昭】