今年もプロ野球の開幕が近づく。昨秋のドラフト会議で惜しくも名前を呼ばれなかった“指名漏れ”の男たちは、それぞれの新天地から再びはい上がる。国内独立リーグ、BC・神奈川に入団した重吉翼投手(22=国士舘大)は元日の能登半島地震でその思いを深めた。18日に甲子園で開幕するセンバツに出場する日本航空石川のOBで、当時も指名漏れを経験していた。

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セスナにも、ヘリコプターにも乗った。助手席に座り、旋回も体験する。未知の重力を知る。航空工学コースでなくても日本航空石川高の生徒は皆、3年生でこの授業に参加する。重吉も記憶を鮮明に残している。

「輪島の高校を出発して、地震のあった珠洲の方まで行って、海の方にも。怖さもあったんですけど、輪島の海がめっちゃきれいだなっていうのが今でも印象深いですね」

京都で育った。高校を卒業して4年たった今年の正月も、京都に帰省した。一報に目と耳を疑う。

能登半島地震が発生した。

「ニュースやSNSで地割れを見て、本当に心配になって。友達や先生方に連絡して。僕が知ってる人はみんな無事でしたけど、でもやっぱり…」

言葉を濁す。校舎は市街地から離れているとはいえ、青春を輪島で過ごした。その輪島で多くの命が失われた。除雪作業のボランティアも何度かした。その街が燃え、崩れた。

「残念で…。少しでも早く復興してほしいなと」

去年の夏も教育実習で母校を訪れていた。「みんなとても意欲的で」。野球部では投球フォームなどのアドバイスを求めてくる後輩も多かった。彼らは今、遠く山梨で生活し、不慣れな環境でセンバツ甲子園への準備を進めている。

「本当は現地で応援してあげたいです。でも今は、そういうわけにはいかないので」

今は向き合うべきことがある。高校時代はNPB2球団から調査書が届いたものの、ドラフトで指名漏れ。国士舘大4年ではそれが1球団に減り、育成枠でも指名がなかった。

大学2年春は好調だったが、上級生になるにつれ「チームファースト」の投球を心がけ、逆にバランスを崩した。4年秋、ようやく復活の兆しを見せたが、進路の選択肢に幅広さは許されなかった。そうして選んだ独立リーグ、BC・神奈川。勝負をかける。

「独立はお金の面で厳しいとは思ったんですけど、それくらいハングリーになって勝負しないといけないなって。自分で追い込むというか、逃げがある場所じゃなくて、いつクビを切られてもおかしくない場所のほうが、やり切れるのかなと思います」

やり切れる-。野球人生の分岐点に至っていることを、逃げずに自覚する。

「今まで野球ってずっと続くんだろうなと思ってたのが、明確に続くか続かないかっていうところの1年、2年だと思うので」

新天地には、名門社会人チームを退社してまで「1年でNPBを」と強く志す投手もいる。異国から挑戦に来た打者もいる。強烈なバイタリティーに囲まれながら力が試される。

「輪島の人、とまではまだあれですけど、少しでも自分の活躍を母校に知らせられたらと思います」

頑張る意味も増えた。BC・神奈川への入団そのものが3度目の、そして最後の“プロ志望届”になる。勝ち残る。支えてくれた人のため、次は自分が翼になる。【金子真仁】

◆重吉翼(しげよし・つばさ)2001年(平13)4月6日、京都市生まれ。184センチ、87キロ。右投げ左打ち。日本航空石川時代、石川県内では星稜・奥川(現ヤクルト)に次ぐ評判の好投手だった。高校時代に乃木坂46を気になった時期があったものの、背番号46の由来は「誕生日です」。