ドジャース大谷翔平投手(29)にスタンフォード大・佐々木麟太郎内野手(18)…島国の未来が、大洋のかなたに広がっていく。渡った人、渡ってきた人、かつて渡った人。3人に「海を渡ること」を尋ねた。

91年にアメリカ横断ウルトラクイズで「クイズ王」になった能勢一幸氏
91年にアメリカ横断ウルトラクイズで「クイズ王」になった能勢一幸氏

「問題。大谷翔平の『翔』は鎌倉時代の歴史上の人物の俊敏な動きを連想させることに由来するものですが、その地元岩手ゆかりの人物は誰?」

能勢一幸氏(55)に大谷クイズを作ってもらった。91年に「第15回アメリカ横断ウルトラクイズ」(日本テレビ系)で優勝した、伝説のクイズ王だ。

日本での予選を抜けた挑戦者たちは、アメリカ大陸を横断し、各地でのクイズを勝ち抜け、敗者には「罰ゲーム」が待つ。海外旅行がまだ一般的でない77年に始まり、全17回が行われた。「初期は戦勝国アメリカを撮影の名目で堂々渡り歩くような気概があったのではと思います」。司会者の「ニューヨークへ行きたいか~!?」が有名になった。

社会人1年目での大冒険だった。別のクイズ番組の優勝賞品で、高校時代にすでに本土上陸は果たしていた。「青い空と澄んだ空気がとにかく新鮮で、アイスクリーム1つにしても日本とは違うなと。ホテルの朝食バイキングもあまり経験がなかったので…」。1種類ずつ取って、胃袋がはち切れかけたアメリカ。

ウルトラクイズでの上陸時はバブル全盛期で、大都市には日本人観光客も多かった。一方で。「田舎町だと日本人の集団が珍しいようで、じろじろと視線を感じました。経済の力でどんどん日本が侵食していったようなところが当時、あったでしょうから」。

激戦の末、最後はニューヨークの摩天楼をバックに優勝。「自由の女神よ、ついにやって来たぞ!」と船上から叫んだ。「10年間憧れ続け、いつか来るであろうその日のために努力を続けたことが現実になった。自分でかなえられた」と感極まった。番組放送後は身の回りが激変。尋常じゃない数のファンレターが殺到。通勤中、面識のない人が突然道ばたからバッと現れた。「いろいろすごかったですね」と笑う。

知力で時の人になった。魔法はない。目標を立て、知識をこつこつ深めた成果だった。同じように成功の未来予想図を念入りに描いていた大谷翔平が今、巨大なアメリカをもくぎ付けにする。大谷に限らず、己の“チカラ”で海を渡る日本人が増えている。30年以上前、知力でアメリカを横断した能勢氏は考える。

「インターネットの普及などでボーダーレス化が進み、十分に情報を把握できることで、以前よりも力を発揮できる環境が整っているからではないでしょうか。幼いころから自分に向いたものを見つけることができやすくなっているのでしょう。クイズの世界もネットで裾野が広がって、見知らぬ強豪が次々と生まれました(笑い)」

今やネット上で疑似旅行もできる時代だ。それこそ「当時旅した場所を当時の仲間たちとバーチャルで共有できるんですよね」。でもいつか、あの日以来となる憧れの地へ。「船で回っただけで、自由の女神のリバティ島に降り立っていないんです」。海を渡って夢をかなえても、夢にはいくらでも続きがある。【金子真仁】(この項おわり)



※冒頭クイズの正解は「源義経」