日本人選手がメジャーで活躍するのが当たり前になった平成時代だが、そこに至るには先人たちの苦労があった。通訳や代理人として日米で多くの選手をサポートし、2007年(平19)に手術で男性から女性へ生まれ変わったコウタ(56=本名・石島浩太)。女優、ギタリストとしても活動する彼女の波乱の人生と日米の野球史を振り返る。

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コウタは手術を受けて女性になるまで、本当の自分をひた隠しにして生きてきた。それはプロ野球の世界に入ってからも同じだった。

ダイエーや西武で働いていた時代は自分の女性的な部分を隠すため、選手たちと一緒にホステスがいるクラブや、ディスコなどに繰り出すこともあった。「そういうところに行って女性と関係を持ったこともありました。でも満足感を得ることはなかったですけど」という。

ただ、そんな球界にもコウタと同じような性的少数者はいた。「球界は社会の縮図。同類だと思える人たちはもちろんいました」。ドジャースから1992年(平4)に近鉄に移籍してきた外野手のビリー・ビーン(マネーボールで有名なアスレチックスのビリー・ビーン副社長とは別人)は、99年に自分がゲイであることを告白。14年からは大リーグ初の性的少数者のための大使を務めている。

コウタはまた「あの殿堂入り名選手の○○○さんもそう。ただ、私のようにトランスジェンダーまでいっている人はいないかも」と、だれもが知っている名前も挙げた。

現在、女優、ギタリストとして活動しているが、いずれまた球界に関わりたいという。昨年7月に“古巣”のメットライフドーム、そして西武第2球場を訪れ、その思いを強くした。「私は最初、西武に入った時、若獅子寮に入ったの。1カ月くらいで小手指にアパートを見つけるんだけど、すごい楽しくて」。かつてを思い出し「あの頃から比べたら格段に開かれた世の中になった。これから先、トランスジェンダーのGMや球団幹部がいたっておかしくないと思う」と笑顔を見せた。

コウタはトランスジェンダーとしては珍しく、女性になってからも名前を変えていない。性別は変えても自分は自分。それが本当の姿だと思ったからだ。「大学生くらいの時、悩みに悩んで名前を変えたいと言ったら、父親が『それだけはやめてくれ』って。でも今になって思うと、変えなくて良かった。私は、あけみでもなければメアリーでもない。別の人になるということは絶対にあり得ないから」。

ゆくゆくは-。「性別を超えた『そんなもの関係ないじゃん』みたいな。そういう存在になっていきたい。そしてマイノリティーの助けになりたい」。コウタのような存在が普通に受け入れられるような社会をつくるため、これからも力は惜しまないつもりだ。(敬称略=この項おわり)【千葉修宏】

◆コウタ(本名・石島浩太)1962年(昭37)3月15日、東京生まれ。ダイエー、西武の通訳、渉外担当、ヤンキース環太平洋業務部長などを歴任。07年に性別適合手術を受け女性に。現在は女優、俳優長谷川初範のバンド「Parallel World」のギタリスト、映像配給会社で英テレビ局の日本向け担当も務める。