2008年(平20)の巨人は、阪神に最大13ゲーム差をつけられながら逆転優勝を果たした。坂本勇人、山口鉄也ら若手が台頭する中で、高卒4年目の東野峻投手(現DeNAスコアラー)は、平成で3人目となる「登板翌日の先発、完投勝利」を達成した。世紀の大逆転を加速させた完投劇を2回で振り返る。

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2008年(平20)9月24日の広島戦を前に、新聞各紙の巨人の予想先発は割れていた。

23日の同戦で12回に登板し、1回を無失点に抑えた東野か、登板機会のなかった野間口か。直前まで先発を悟られないために、東野はリリーフ陣と同じ調整で汗を流した。

試合開始の約40分前、巨人監督の原辰徳と広島監督のマーティー・ブラウンがメンバー表を交換した。メンバー表を見たブラウンは東野の名に「アンビリーバブル」と声を上げた。「先発投手は東野」のコールにスタンドがどよめいた。

東野は小屋でスタンドの反応を聞いた。当時、広島市民球場では若手選手は球場のアルバイトとともに小屋が控室だった。「これで抑えたら、かっこいいよなぁ」。試合が近づくにつれ胸は高ぶった。

初回に打線が2点を先制した。いつものようにマウンドに一礼。「後先考えず、いけるところまで飛ばそう」。1回から3回までを無安打無失点に抑えた。4回にアレックスに初安打を浴びたが、気が付けば5回を無失点に抑えた。

東野 完封なんて、頭になかったです。とにかく、1イニングずつを。(5回以降は)正直、代えてくれないかなと思っていた。

イニングを重ねるごとに、心身の疲労がじわりと襲ってきた。6点リードの7回、シーボルにスライダーを狙われ、2ランを浴びた。「あの1発で火が付いた」。8回は無失点。4点リードで9回を迎えた。簡単に2死を奪って、2ランを許したシーボルを打席に迎えた。フルカウントから阿部のサインに首を振った。「最後はホームランを打たれたスライダーで勝負したいと思った」。闘志全開のウイニングショットで空を切らせ、勝利を決めた。

平成時代、登板翌日に先発し、勝利を挙げたのは7人(8度)。完投勝利に限れば、93年9月29日の下柳(当時ダイエー)以来3人目だった。試合後、東野は自らが成し遂げた偉業を知らされた。「勝てたのはうれしかったですが、次、早く投げたい気持ちが強かった」。

10月8日、チームは阪神との天王山を制した。141試合目で首位に浮上し、マジックナンバー2が点灯。10日のヤクルト戦に勝利し、大逆転でリーグ2連覇を決めた。

昭和の時代では多かった連投も、投手陣の分業制が始まった平成ではめっきりと減った。93年以来、15年間も開かなかった連投での完投勝利。次代にそんな猛者は出るか。(敬称略=この項おわり)【久保賢吾】