同率首位、勝った方が優勝。巨人長嶋監督が「国民的行事」と呼んだ中日とのシーズン最終戦は、1994年(平6)10月8日、ナゴヤ球場で行われた。テレビの平均視聴率48・8%、瞬間最高67%を記録した究極の一戦は、6-3で巨人が勝った。その舞台裏はさまざまなところで言及されてきたが、4番落合博満が見せた「素顔」は、25年を経てもまざまざと思い返すことができる。

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畳のところまで行き着けなかった。巨人の宿舎だった名古屋・都ホテル。和室の自室のドアを開けると、落合はそのまま土間にへたり込んだ。

「あ~、よかった~」。そう吐き出すと、試合中に痛めた左足から、ゆっくりシューズをはがした。かすかに笑っている。こんなに穏やかで、無防備な姿を見たのは初めてだ。ホテルの屋上から、ビールかけで大騒ぎする巨人ナインの声が漏れ聞こえてくる。落合は目を伏せ、しばらくの間、仲間たちの雄たけびに聞き入っていた。

「もし負けてたらオレは辞めるつもりだった。だれかが責任を取らないと収まらない。でも、長嶋さんを辞めさせるわけにはいかないだろ」

私が落合の部屋に行ったのは、優勝紙面用のインタビュー取材だった。この手の取材は優勝が決まる前に時間を取ってもらうのが通常。決まったあとに聞いても新聞の締め切りに間に合わないからだ。しかし、落合は優勝前のインタビューを頑として拒んだ。普段からぶっきらぼうではあったが、この頃は口数も極端に減っていた。

20勝10敗と開幕ダッシュに成功した長嶋巨人だが、夏場から大失速。最大21あった貯金を1ケタまで減らし、逆に9月から猛追してきた中日に、直接対決1試合を残して並ばれた。もし大逆転Vを許せば、嵐のオフが待っているのは明らかだった。

最終決戦前日。落合は夫人の信子に告げた。

「あした負けたら辞める。無職になるから、そのつもりでいてくれ」

前年オフ、FAで中日から巨人に移籍した。入団会見では「長嶋監督をクビにしたら末代までの恥」とタンカを切った。周囲の反対を押し切って獲得してくれた長嶋監督を守るため、この一戦に負けたら、バッシングを一身に浴びる覚悟だった。

2回、中日のエース今中から右中間に先制アーチ。同点に追いつかれた3回には、詰まりながら右前に運び、勝ち越し点をたたき出した。その裏の守備で左内転筋を痛めて退き、最後の瞬間はベンチ。胴上げの輪が解けたあと、長嶋監督と抱き合った。41歳になるこの年は打率2割8分、15本塁打、68打点に終わり、3冠王3度の強打者としては物足りない。しかし、究極の大一番で見せた覚悟と執念は、さすがというしかなかった。

落合のインタビューを急いで出稿し、すべての仕事を終えたのは、日付が替わった午前1時半。そこから記者仲間たちと、近くの居酒屋で「祝杯」をあげた。勝つか負けるか、私たちにとっても一大事だった。日本シリーズに向かうのか、それとも嵐のストーブリーグに突入するのか。緊張から解き放たれ、朝方まで痛飲した。

寝坊。翌朝、凱旋(がいせん)帰京した巨人一行の新幹線に乗り遅れた。会社に戻ると上司に言われた。

「お前が優勝したんじゃない」

落合の「素顔」とともに忘れられない出来事だ。(敬称略=この項おわり)

【沢田啓太郎】