さまざまな元球児の高校時代に迫る連載「追憶シリーズ」。第15弾は横浜商(神奈川)のエースとして活躍した三浦将明さん(51)です。

 三浦さんは甲子園で多くのアイドル、ヒーローと対戦しました。甲子園初出場した1982年(昭57)のセンバツでは、早実(東京)の荒木大輔投手と投げ合いました。翌83年はセンバツで水野雄仁投手を擁する池田(徳島)と決勝で激突。同年夏は桑田真澄、清原和博の1年両選手がいたPL学園(大阪)と決勝で戦いました。

 多くのライバルとともに甲子園を彩った三浦さんの高校時代を5回の連載でお届けします。8月29日から9月2日までの日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカン・コムでは連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。

取材後記

 この取材で初めて三浦さんとお会いしました。ベースボールアドバイザーとして働いているの愛知・刈谷市内のスポーツ用品店「スポーツデポ」の店内には、バットの試し打ちができる鳥かごがあります。その中で高校時代からプロ野球時代、そして現在の話まで聞かせてもらいました。豪快に笑う三浦さんが印象的でした。

 三浦さんは伝統校・横浜商での3年間、甲子園という大舞台でさまざまな高校野球のスターと対戦してきました。紙面で紹介ができませんでしたが、神奈川の地では、プロ野球界のレジェンドとなった投手と投げ合っていました。

 のちに中日で同期入団する山本昌氏(52=野球評論家)。2年だった82年、神奈川大会準々決勝で初対面しました。

 それまで無安打無失点と好投を続けていた日大藤沢の山本と「Y校」の三浦の2年エースの投げ合い。結果は初回に3点を入れ追い上げられるも、3-2で横浜商が逃げ切り勝利。整列後、三浦さんは山本氏に歩み寄りました。

 三浦さんは「あいつ、ぼろくそに泣いていたんですよね」と懐かしそうでした。号泣する山本氏は一切、目を合わすことはなかったそうですが、2人は握手を交わしました。そして三浦さんは「頑張ろうな」と。2年生ながらチームの柱。同じ境遇の左腕にエールが送りたかったのだと思います。

 2人が再開したのは83年の元日。神奈川県内でチームの中心選手と言われる高校球児は、高校3年の最後の年を迎えるにあたり鎌倉市内の鶴岡八幡宮を初詣するのがしきたり。エースを背負っていた三浦さんも、もちろん出かけました。各校の中心選手の中に山本氏もいました。三浦さんはライバルを横目に、最後の夏を勝ち抜くことを祈ったそうです。

 神奈川は全国屈指の高校野球の激戦区と言われています。甲子園で勝つより神奈川を勝ち上がることの方が難しいとも…。人気カードになれば、横浜スタジアムは満員。早朝から入場券を求め、長蛇の列が並ぶと聞き、驚いたことを覚えています。

 神奈川から生まれる名選手の数々を見ると、高校野球の実力、人気ともに高いことがうなずけます。それぞれがライバルの存在を意識し、切磋琢磨(せっさたくま)する。熱い戦いは甲子園だけではありません。【宮崎えり子】