香川が高校野球界を沸かせた70年代後半は、人気アイドルグループ「キャンディーズ」の解散とともに、2人のデュオ「ピンク・レディー」がヒット曲を飛ばし続けた時代だった。水島新司の野球漫画「ドカベン」が人気を博していた。

 77年11月23日、まもなく「ドカベン」と称される高校1年生の香川は、秋の近畿地区大会の準決勝、PL戦を迎えた。西田真二(元広島)から右翼スタンドに2ラン。近畿地区大会前の大阪大会で1-16と大敗を喫した相手に、8-6と競り勝った。各スポーツ紙は「右翼にも本塁打を打てる右の大砲」と書き立てた。

 捕手で太めの体形…。野球漫画「ドカベン」の主人公、山田太郎捕手に似ていることから、そのニックネームがついた。当時の香川は漫画家の水島から「山田太郎のイメージにぴったりだ。頑張れ」と激励を受けている。それまで「ブーちゃん」と呼ばれていた男は、「ドカベン」として全国区になった。

 香川とコンビを組んだのが、投手の牛島和彦(現野球評論家)だった。四条中から天理高に進学するはずが、浪商OBで、巨人でプレーしていた高田繁(現DeNAゼネラルマネジャー)から勧誘を受け、踏ん切りをつける。香川は入学式翌日の北陽戦で本塁打を放ったが、同学年の牛島もいきなり9回2失点で完投勝利デビューをした。

 香川は1年から「正捕手」、牛島が「エース」だった。2人は中学2年生のとき、大阪府内の公式戦で1度だけ対戦している。このときは香川の大体大付中が延長13回の末に3-2で、牛島のいた四条中を下した。浪商で再会した「1年生バッテリー」は容姿も対照的で、たちまち注目の的になった。

 牛島 ぼくが香川の存在を知ったのは中2のときです。1回戦が完封勝ち、2回戦は完全試合、そして香川がいた(大体大)付中との試合で互角に渡り合ったことで評価されたのかもしれませんね。浪商に入ってチームメートになったといっても、彼は中学からすごい打者としてずっと打ってる。ぼくは謙虚に言ってるわけではなく、中学の最後にちょこっと投げて評価されただけで自信なんてなかった。だって、当時は(浪商)グラウンドの左中間の奥に4階建ての校舎がありました。香川の打球はその上を越えていくんですから。驚きました。

 牛島-香川の人気バッテリーが初めて甲子園の土を踏んだのは、78年の第50回センバツ。3月28日の高松商との1回戦、香川は「4番捕手」でデビューしたが、2回に二塁を強襲する内野安打の1安打だけで、4打席で2四球がいずれも敬遠気味だった。牛島も完投したが0-3で敗退した。

 牛島 今考えると、やっぱりまだまだ高校1年生でしたね。香川のバッティングは認めますし、肩も強かった。でも、お互い下手くそ同士でしたよ。

 この大会後、ある騒動が起こった。(敬称略=つづく)

【寺尾博和】

(2017年7月26日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)