東海大熊本星翔の内野陣がマウンドに集まった。2点リードの4回裏無死一、三塁。伝令役の甲斐一真(3年)がベンチを飛び出す。「最少失点でいくぞ。とにかく楽しんでやれ。攻めていこう!」。しかし死球でピンチは広がる。次打者、大垣日大の7番堀本が初球の甘いスライダーを右翼席に運ぶ。痛恨の逆転満塁弾。捕手の遠山彰吾(3年)は悔いた。「初球は絶対に振ってくると思った。スライダーを外の低めに落とそうと思った。自分の要求不足です」。35年ぶりの夏はほろ苦かった。

 甲斐と遠山は熊本・益城町で育った。入学直後の16年4月14日に熊本を大地震が襲う。甲斐は野球部の練習場からの帰り道だった。「やばい」。乗っていた自転車ごと跳びはね、小学校の塀に激突した。ケガはなかったが、見上げると、電線から火花が散っていた。同町は震度7の地震が2度起き、大きな被害を受けた。熊本市内にある同校は休校になり、人工芝のグラウンドが避難所になった。2人の自宅は比較的、被害が軽かったが、余震が来た時にすぐに避難できるように、車中泊の日々が1週間以上続いた。復旧作業が始まると、甲斐は支援物資を運んだり、食事の手伝いをした。遠山は祖父が農業を営んでおり、特産品のスイカの出荷作業に追われた。人手が不足していたのだ。野球どころではない生活は数カ月続いた。

 練習が再開しても、心は晴れなかった。地元には苦しんでいる人が多くいる。遠山には葛藤があった。「仮設住宅に住んでいる友達もいた。自分は野球をやっていいのかな、という気持ちはあった」。それでも甲子園は子供の頃からの夢。しばらくして、町民からこんな声をかけられるようになった。「野球頑張って」「甲子園に行ってね」。気持ちは固まっていった。「野球を頑張ることで、『自分も頑張ろう』と思ってくれる人がいる。周りの友達、じいちゃんやばあちゃんに、何かいい形で知らせられたら」。そして練習に打ち込んだ。甲子園が決まると、祝福のLINEが収まらなかった。町の人からも「おめでとう」と声をかけられた。

 敗戦直後、甲斐に涙はなかった。「最初は甲子園に行けるような状態じゃなかった。地道にやって、ここに来られたのはうれしい。県の代表として、益城の人に、1勝をプレゼントしたかったですが…」。遠山の口調はどこか晴れやかだった。「地震の時、みんなで支え合った。地元の人はお世話になった人ばかり。勝って恩返ししたかったけど、胸を張って、みんなにありがとうと言いたい」。苦難で始まった高校野球。最後の夏は甲子園で過ごした。熊本はまだ復興の途中。ナインは全力プレーを地元に届けた。【田口真一郎】