末次はPL学園(大阪)との3回戦の第3打席に7打席連続安打をマークし、従来の記録を更新した。ライト前へのポテンヒットだった。その印象が強く、いまだに8打席連続安打を「幸運」だといじられることもあるという。

末次 同級生にはいまだに言われますよ。結局、ポテンヒットばっかりじゃないかって。でもそれは2戦目だけで1戦目はちゃんと打ったって反論してますけどね。

快挙を刻んだ一打の当たりは悪かったが、それをヒットにするのも実力といえる。

末次 初戦で4安打打ったこともあるし、プロのスカウトから注目されていた。PL学園戦では最初から外野がぐっと下がっていた。それで内野との間に落ちたということもあるかもしれませんね。

腰を痛めていたことはPL学園側に伝わっていなかった。優勝候補といわれた柳川商の4番でプロ注目スラッガーという「ふれこみ」は、PL学園外野陣を「びびらせる」には十分だったに違いない。さらに、大会前の甲子園練習では柵越えを放っていた。

末次 騒がれていた東海大相模の原(辰徳)より先に「柵越え」したって、笑って自慢してました。

飛距離には自信があった。当時のコーチ、樋口修二も「末次の飛距離はすごかった。(柳川商の)学校グラウンドの左翼方向に体育館があったんですが、その屋根まで飛ばしました」と証言する。

PL学園も長距離ヒッターであることは百も承知。外野が下がるのは当然で、PL学園側からすれば8打席連続安打の記録を献上したものの、長打は打たれずに勝利したのだから正解ともいえる。

末次は「打てる捕手」として鳴り物入りで甲子園にやってきていた。中学時代は投手で4番だった。「16三振も取ってノーヒットに抑えても負けたこともあった。四球と失策がからんで失点されてしまうんです」(末次)。柳川商に入学し、一塁手として2年春にセンバツ出場。その後、捕手に転向。強肩でもあり、盗塁も「ほとんど許したことがなかった」と胸を張る。

チームメートもすごかった。エースは今季まで阪神2軍投手チーフコーチを務めた久保康生、さらに1番打者には現ソフトバンク打撃コーチの立花義家。立花は末次よりも先に4番に抜てきされていたが、最後の夏は切り込み役を託されていた。久保と立花は76年ドラフトでともに1位指名されたほどの実力の持ち主。柳川商は同年春の公式戦、練習試合を含めて36連勝も記録しており、他校がV候補と恐れていた。そんなチームの主砲を張るからこそ、相手が警戒するのも無理はなかった。

立花 末次はミートがうまかった。反対方向に打つのもうまくて、認め合っていたね。あの夏の甲子園ではポテンヒットで記録を作ったけどね(笑い)。

いじられるのは愛嬌(あいきょう)だが、ライバルの存在が末次を強くしたことは間違いない。(敬称略=つづく)【浦田由紀夫】

(2017年10月9日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)