一大事である。最も信頼していた指導者がユニホームを脱いでしまった。気持ちの拠り所を失った。前2軍監督掛布雅之氏の退任である。選手には手の施しようのないところでの人事。黙って従わざるを得ない事だが、当事者にとっては大変な出来事。プロ野球の世界ではよくあるケースで、過去にも同じ目にあっている選手は数多くいると思うが、プロである。このような苦境は乗り越えるだけの精神力を持っていないと、桧(ひのき)舞台でファンを魅了するプレーヤーにはなれない。正念場を迎えたのは阪神期待の大砲陽川尚将内野手(26)だ。

 大砲の育成。打線で4番が占めるウエートは大きい。4番に人一倍のこだわりを持つ掛布前監督は「4番の重み」を体験して大きく育っていくように、若手育成法の一つに取り入れていた。昨年など若い選手がファームに降格してくるなりすかさず4番に据えた。横田であり、江越であり、陽川であった。そして、時には器とは思えない上本にまで4番を打たせて育成した。その掛布前監督が今シーズン終始、打線の軸に据えたのが陽川だった。期待度の表れである。

 1軍には昨年、2ホーマーを放つなどしてデビューした。ウエスタン・リーグでは14ホーマー、62打点を挙げて2冠王に輝いてアピールした。当然、今シーズンへの期待度は膨らんだ。特に鳥谷の状態が定まっていない。三塁のポジションは鳥谷の存在こそあれ、キャンプ、オープン戦の時点でレギュラー選手は決定するまでに至っていなかった。陽川の本職は三塁手。チャンスは目の前にあったはずだが、今振り返ってみると、広島戦でバックスクリーンに1発たたき込んだものの“力不足”が否めなかったのが現実だった。

 結果は残せなかったが今季の陽川「狙った球を、だいぶいい感じで捉えられるようになりました」という。ゆっくりではあるが一段、一段着実に階段を登っている。今シーズンもウエスタンでは連続してホームラン、打点のタイトルを獲得した。21本塁打91打点。昨シーズンと比較してみる。なんと7発、29打点の上積みは成長の証しである。特に1軍に昇格する直前などは、5試合連発、7試合で6発という離れ業をやってのけるまでの力をつけていた。

 好調時の1軍昇格だった。そのまま勢いに乗れるかと期待していたが「悔しいですね。ずっと上(1軍)にいたかったのですが……。残念です」とショックを受けた矢先の一大事。ダブルパンチを食らってさぞやガックリしているかと思えば「監督(掛布)さんのアドバイスはもう完全に頭に入っていますし、今年は『自分でやってみろ』と言われて、僕なりにいろいろ考えてやってきました。その中でテーマとして1シーズン試みてきたのが、ストレートをしっかり捉えることです」だった。前向きの姿勢にひと安心したが、かなり厳しい道程になるのは確かだ。

 ところが、いろいろな情報を収集してみると、陽川の前途に明るい見通しが立ち始めた。掛布氏のフロント入りだ。アドバイスを受けたければ、いつでも連絡の取れるところにいる。当然、鳴尾浜球場にも足を運ぶのは間違いない。不安は解消された。「今年、開幕当初は調子が上がらず結果が出せませんでしたが、監督(掛布)さんの指導で5月ぐらいからやっと上り調子になってきました。ほんとにお世話になりました。来年は、しっかり1軍で結果を出す事が恩返しだと思っています。頑張ります」と誓った。

 闘志が前面に出ないタイプ。今季も1軍の壁にはね返された。「野球は個々のプレーの集合体」と言い続けてきた前監督の「1人に強くなれ」は陽川に一番必要なところ。レギュラー獲りするだけの潜在能力は持っている。死に物狂いで野球に取り組み、何事にも強くなってほしい。強くなる事が「恩返し」への近道である。【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)