やはり、書いてみようと思います。小林麻央さんの話です。

 7月21日は麻央さんの誕生日です。82年生まれということなので、ご存命なら35歳になっていたところでした。

 麻央さんの誕生日は以前から認識していました。

 理由はいくつかあって、その中には自分のそれと1日違いというのもありましたが、連日、取材している阪神にも同じ誕生日の選手がいるな、という思いがあったからです。

 藤川球児投手、それに元先発スタッフで現在は打撃投手を務めている山崎一玄の2人。藤川は80年、山崎は72年です。

 1カ月前、麻央さんが亡くなった6月22日、阪神は広島に遠征する移動日でした。交流戦明けでリーグ戦が再開した23日、マツダスタジアムで同じ誕生日であることを口にし、球児に少しだけ聞いてみました。

 「そうなんですか…。でも考えさせられますよね。ひとごとじゃないというか…。なんとも言いようがないですよね」

 もちろん麻央さんとの面識はないのですが、日本中が感じた同じ思いを球児も共有していたようです。

 山崎も同様です。最近になって、その話をしたときに「同じ誕生日なのは知らなかったけれど、世の中に勇気を伝えられたという感じは受けています」と言っていました。

 麻央さんのことは、個人的に衝撃を受けています。

 このコラムを読んでいただいている方はご存じかもしれませんが、00年、広島担当だったときに妻を亡くした私は、これまで父子家庭で3人の娘とともに暮らしています。

 当時、妻は35歳でした。子どもたちは7歳、5歳、そして生後11日。赤ん坊はともかく、残された子どもたちの年齢構成も似てるな、と本当にひとごとではなく、ニュースに触れていました。

 自分のことを言えば、当時、広島には、やはり妻に先立たれた関係者がおられました。

 落ち込む私に、その方は言いました。

 「亡くなって1カ月、1年とかね…。節目を迎えることに何の意味もないように思えるんだけど、そのたびにだんだんと自分で納得していくんだ」。自分の経験に照らしての話でした。

 あれから17年、今は、その言葉の意味がよく分かります。

 麻央さんのことから1カ月。残された家族、周囲の方々もそうやって少しずつ現実に向き合っていくのだろうか、と思っています。

 プロ野球は後半戦が始まりました。

 自分のことを言えば、あの悲しみを乗り越えたという言い方はできないし、実際に乗り越えたかどうかも分かりません。

 それでも取材し、モノを書く仕事を続けていられる現在に感謝の気持ちが沸いています。

 当時、世話になった緒方監督率いる広島の1強状態が続くのか、金本監督の阪神が迫れるのか。

 さまざまなことを経験し、勝負も人生も続いていくということを実感して、取材して書いていきたいと思います。