納得してもらえる読者も少なくないと思うのですが、トシを取ると人の名前はもちろん、顔を覚えるのも時間がかかるようになってきます。50代で何を言ってるんだと叱られそうですが、本当だから仕方がない。

 お恥ずかしいですが、例えば、こんな感じです。宜野座のグラウンドでシートノックを受けている選手たちを見ていると背番号「4」が軽やかに動いています。

 「おっ。上本。ええやん」と一瞬、考えて「いや、待て!」と思う。上本はもう背番号「4」ではないぞ。大体、いまは沖縄にいないぞ。では誰だ? なかなか、男前ではないか。誰だったかな…。

 ドラフト3位で入団した熊谷敬宥内野手(22=立大)。ルーキー野手ながら1軍キャンプで頑張っています。ああ、新人だからパッと出てこないんだな、まあ仕方ないね、と勝手に納得しながらプレーを見る。うん。若い。

 背番号「4」は16年まで上本がつけていましたが、心機一転を図って「00」になったため、昨季は空き番になっていました。熊谷で2年ぶりに復活した形です。「4」と言えば懐かしいバッキー、さらにキーオ、あるいは藪恵壹と、なぜか投手でつけていた選手も多いのですが、やはり、この人でしょう。

 そう、川藤幸三阪神OB会長です。阪神唯一の日本一になった85年にも「4」を背負って存在感を示していました。その川藤会長もスタンドから目を光らせています。これは少し聞いてみたい。

 川藤さん、背番号「4」が復活ですね。しかも結構、男前でっせ。どないですか。

 「あっほか~。何言うとるんじゃ。芸能人ちゃうねんぞ~。顔で野球ができるんか~」。おなじみ川藤節で迎撃されました。それだけではない。もちろん続きもあります。

 「自分の背番号なんやから自分のものにせなしゃあないやろ。先代のものじゃないんやからな。前は誰だったとか言われてるようではあかん。すぐにはそうはいかんけどな。1段1段ステップを上がっていかな。10年、20年かけてな。逆にそうしないと2、3年で変えられてしまうんや」

 引退したり移籍したりで、自分の背番号を他人がつけるのは仕方ない。でもまだチームにいるのに新しく入ってきた選手にとられてしまう。そういうケースもある。勝負の世界は厳しいのです。というわけで熊谷選手、川藤先輩がそう言っていたよ。

 「そうできるように頑張ります」。さわやかに言い切りました。うん。男前だ。顔で野球はしないけれど、実力が同程度なら武器になります。