「金本知憲氏 野球殿堂入りを祝う会」で張本勲氏(左)から花束を贈られる金本知憲氏(撮影・前田充)
「金本知憲氏 野球殿堂入りを祝う会」で張本勲氏(左)から花束を贈られる金本知憲氏(撮影・前田充)

最近、このコーナー、硬い感じの原稿が続いておりまして。大阪本社版で紙面に載せている読み物を「どうせお前の記事なんやから『ねごと』にでも突っこんどけ」ということかどうか、こういうことになっております。微妙にタッチが違っている場合もよろしくお願いします。

さて。

今回はなんだかほっこりしたお話を少し書かせていただきます。

金本知憲前阪神監督の野球殿堂入りパーティーがこの12月11日、大阪市内のホテルで開催されました。

話そこであいさつに立った張本勲氏の話に思わず聞き入ってしまったのです。

「野球解説者」という肩書ももちろん、最近では「カツ!」の気合が有名な、言うまでもない球界ご意見番。

その張本氏がタテジマのユニホームに身を包んでいたかもしれないというエピソードでした。

これは結構、有名な話のようですがご本人の口から聞くのは初めてです。

いわく75年(昭50)のオフ、日本ハムに所属していた張本氏はさまざまな要因で退団を決意していました。

このときに声を掛けたのが当時、阪神監督の吉田義男氏(日刊スポーツ客員評論家)でした。

「本当にうれしかった。よっさんから『ハリやん、いっしょにやろうや』と電話で言ってもらって。宝塚に親類がいたので、もう、家まで用意しましたから」

張本氏は当時のことをそう表現しました。

しかし。その後、巨人の監督を務め、苦心していたミスターこと長嶋茂雄監督から連絡があり、巨人入りを誘われたのです。

詳細については過去、張本氏が話したことと少し違うようですが要するに阪神入りが内定していたのに巨人入りを頼まれたということ。張本氏は幼少のころから巨人にあこがれていました。

「うれしかった。よっさんの誘いもうれしかったけど、こっち(巨人)の方が、そら、うれしい」

“本音”に会場は沸きました。しかしそのとき、張本氏の脳裏に浮かんだのは当然ながら吉田氏のことです。

すでに阪神電鉄本社、上層部にまで話を通っているはず。今から断ったらどれだけ非難されるのか…。そう思いながらも吉田氏に電話をかけたといいます。

返ってきた声は「よかったやないか。ハリやん、巨人、好きやったもんな!」。明るい声でそう言われたそう。

「本当にありがたくて。涙が出た。西の方に向いて頭を下げました」。張本氏の話はそう続きました。

この日の会場には吉田氏の姿もありました。

「張本さん、おっしゃってましたけど、あれ、ホンマにあんな感じやったんですか?」とぶしつけに聞いてしまった。

「ああ。あれね。そうそう。そうです-」

吉田氏も笑いながら話しました。

昭和の男たちの話です。友人、知人、そしてレジェンドにも囲まれて久しぶりにうれしそうな金本氏の表情を見ながら、こちらもなんだか幸せな気分になっていたのです。(編集委員・高原寿夫)

「金本知憲氏 野球殿堂入りを祝う会」で張本勲氏(左)から花束を贈られる金本知憲氏(撮影・前田充)
「金本知憲氏 野球殿堂入りを祝う会」で張本勲氏(左)から花束を贈られる金本知憲氏(撮影・前田充)