個人的にそれほど批判記事を書いた覚えはないのだが顔を合わせると「おお。○○組!」と言われた。「マスコミは暴力団よりこわい」も口癖だった。南海退団時にそのこわさを味わい、同時に“ぼやき”でその影響力を使った。メディアとの距離感に独特のセンスを持つ人だった。

野村阪神でフィーバーを起こした99年。虎番サブキャップだった私は試合が終わった後、野村さんの監督取材に入ることがあった。あるとき「そもそも内角球はどうやって打つんですか」と質問してしまった。

目を光らせた野村さんは「教えたろ」と言ってイスから立ち上がった。「内角球はまずバットを球にぶつける。そのまま手首を返さずに腕を伸ばすんや。そうすると飛ぶ」。身ぶり手ぶりを交え、熱弁した。限られた時間で試合の本筋に関係なかっただけに焦りながらも、心の底から野球が好きなんだなと実感した。

甘党だった。楽天監督時代、阪神との交流戦で仙台遠征に出向いたとき。仙台の駅前においしいたい焼きがあると言うと「オレは知らんぞ。買ってきてくれ」と言う。翌日、持っていくと「ホンマに買(こ)うてきたんか?」と笑った。

皮肉屋だったが人間が好きだった。ヤクルト監督だった95年、オリックス監督だった仰木彬さんともう1つの「ON対決」と言われた。ともに阪神、楽天で指揮を執った星野仙一さんには「アイツはいつもオレの後でいい目を見る」とぼやいた。名監督が、また、この世を去った。寂しいとしか言いようがない。【99年阪神担当=高原寿夫】