今年も日本シリーズがある意味で注目されました。自分の思い出で言えば、特に忘れられないのが03年、阪神タイガース-ダイエーホークスの激闘でした。

試合内容もそうなのですが何より衝撃的だったのは当時の星野仙一監督からホテルの一室に呼び出されたときにあったことです。

阪神が福岡遠征の宿舎にしているシティーホテル。シリーズに備え、関西から福岡へチームが移動した日で報道陣も大挙して、そのホテルロビーに詰め掛けていました。

取材も終わったし、ぼちぼち引き揚げようか。中洲の街も待ってることやし。そんなタイミングで携帯電話が鳴りました。表示されていた名前は「星野仙一」。驚いて出ると「○○号室に来い!」と有無を言わせない口調でした。

部屋は会議でもできそうなデスクセット、ソファがあるスイートルーム。ノックして「何ですねん?」と入ると「そこに座れ」。ソファに腰掛けると開口一番「お前もよう同じこと聞きに来てたから言うけどな。オレ、辞めるから」。そう言うではないですか。

18年ぶり歓喜のリーグ優勝を果たした阪神でしたがシーズン中から「星野勇退説」は週刊誌などでささやかれていました。そちらはうわさで書いてもいいんだろうと思うのですが、我々は、少なくとも阪神の監督人事となれば、そうはいかない。

本当にそんなことがあるのか。そもそも、なぜやめるのか。いや、やめないだろう。そんなこんなで優勝決定前から取材が始まっていました。もちろん同業他紙も同様です。

各紙の虎番キャップがいろいろな場面で星野さんと2人になる機会を狙って当たり続けていたのです。電話することもありました。そんな取材に対し、常に星野さんは「なんで勝たせたオレがやめなあかんねん!」と言い切っていたのです。

だからこそホテルに呼び出されたとき「やめる」と聞かされたことにはショックを受けたものです。これはあとで聞いた話ですが、星野さんは各スポーツ紙の虎番キャップで「辞任取材」を続けていた面々を1人1人、呼び出し、勇退の意思を伝えたようです。

夜中になって、その事実を知ったフロントがあわてて他メディアに伝えた模様。翌日にはいわゆる“並び”の状態で各報道機関のほとんどが報じました。

そしてショックが冷めない中でのホークスとの激闘でした。福岡ドーム(当時)で連敗。甲子園に戻って1つ雨天中止を挟んで3連勝。そして再び福岡で連敗。王貞治元監督率いるダイエーホークスに惜敗したのでした。

第7戦の朝。そのホテルの会議室でした。星野スタイルの軸となる「お茶会」は普段、顔を見せないテレビ局関係者らも多数いて大掛かりなものになりました。それまで勇退について公の部分では一切、口にしなかった星野さんですがお茶会の最後に言いました。

「どちらにしても、みんなとこうやって話すのはこれが最後になる。今までありがとう」。そう頭を下げる姿に、普段は取材対象に拍手などしない我々ですが、思わず手をたたいてしまいました。

あれから17年がたちます。変わらないのはホークスの強さ。変わったのは、なんだろう、取材対象者と取材する側に流れる、緊張感の中にも感じるぬくもりのようなものか。

あのときと同じく福岡で決まった日本シリーズが終わった今、そんなことを考えています。【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)