球界の功労者をたたえる「2022年野球殿堂入り」。14日、現ヤクルト監督の高津臣吾氏らがプレーヤー表彰され、「殿堂入り」しました。

投票権をもらっている私も納得、祝福しましたが高津氏といえば忘れられない“出来事”を思い出します。若い人はひょっとして知らないかもしれない、あの場面。少し説明すると…。

日米球界のレジェンド・イチロー氏が球宴で登板したのはもう26年も前、96年7月21日、東京ドームでのこと。全パがリードして迎えた9回も2死走者なし。打席に巨人の主砲・松井秀喜氏を迎えたところでした。

全パの指揮を執っていたオリックス仰木監督はここでマウンドにイチロー氏を送りました。以前から「イチローを投げさせる」と公言していたことを実行したのです。

これに反応したのが全セの指揮を執っていたヤクルト野村監督。「球宴は真剣勝負の場だ。けしからん」と不快感を示しました。以前から「知将」として「マジシャン仰木」に特別な意識を持っていたこともあったのでしょう。

のちに判明したことですが「野手が投げるなんて。お前もイヤだろう」と野村監督に聞かれた松井氏は「ボクはどっちでもいいですよ」とおおらかな構えだったと言います。

しかし野村監督は代打に投手を送ることを決意。選ばれたのが当時ヤクルトの守護神だった高津氏でした。結果は遊ゴロに終わりましたが球場になんとも言えないムードが広がったことを記憶しています。

ファンサービスに徹した仰木監督と真剣勝負にこだわった野村監督との対決。世論を二分したとも言われていますが、そこから強く感じたのは互いの“師弟愛”でした。

イチロー氏は当時、批判について「僕らは体育会系。監督が投げろと言えば投げるだけ」と論理を展開。「仰木=イチロー」のきずなを感じさせました。

一方、高津氏も見事でした。自軍が負けている展開で、そんな出番が来るとは…。もっと言えばこの場面の“登場人物”の中で一番損な役回りに思えましたが堂々と代打に立ちました。ここにも「野村=高津」の関係を感じたものです。

高津氏はヤクルトを率いて昨年、見事に日本一に輝きました。一方、イチロー氏は国内では高校球児の指導に熱心なところを見せています。

この2人からどんな“弟子”が生まれるのか。そんなことを考えています。【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)