甲子園連覇の夢がついえた花咲徳栄(北埼玉)は兵庫・伊丹市のホテルに戻り「最後のミーティング」を行った。岩井隆監督(48)の話は以下の通り(抜粋)。

 

 1年前、甲子園で優勝し、新チームは全国で一番遅くスタートしました。その時に思ったことは、このチームでどうやったら勝てるんだろう。ただ、経験が少なくて最初は苦しんでも、夏の(埼玉)4連覇だけは絶対に取る、ということだけは最初から決めていました。優勝を狙って取ることの厳しさに耐えて、本当によく頑張ってくれました。

 甲子園でも苦しみながら1勝できました。2回戦からは磨いてきた打撃を思い切ってやらせてあげたいと、極力バントは考えませんでした。結果的にはあと1本、あと2点が足りなかったけれど、1年間作ってきたことが十二分に出せたと思います。一番遅れて始まったチームが、大・甲子園で臆せず、最後まで攻め続けてくれた。本当に感謝しています。

 私はもうすぐ50歳になります。今になって思うのは、個人的な記録というのはあまり思い出に残らないということ。それよりもみんなで努力したこと、乗り越えたことは、一生の思い出になります。何度集まっても、その話題で飯が食え、酒を飲める。忘れないでください。そういう記憶が鮮明に残る甲子園2試合だったと思います。

 厳しいことも言いました。非情になって、必要以上に怒ったこともあります。こんなに怒ったら、明日から誰もいないんじゃないかって眠れない時もありました。けれど、グラウンドに行けばいつもお前たちが、どんなに怒られても元気な声でいてくれる。もっと頑張らなきゃな、命かけてやらなきゃいけないな、って。3年生中心に、みんながついてきてくれたことにありがとうと言いたいです。

 この戦いは、来年以降の花咲の新しい歴史として2年生、1年生が受け継ぐように。私たちの戦いは続いています。3年生もそれぞれの進路、未来に向かって、花咲でやってきたことを生かして、いつか人生の勝利者になってほしい。いいですか?


 「はい!」とハッキリ答えたナインたち。岩井監督が時折、声を詰まらせると、もらい泣きする選手もいた。【金子真仁】

最後の追い上げも追いつかず、敗退した花咲徳栄の野村(左)にボールを渡す岩井監督(撮影・浅見桂子)
最後の追い上げも追いつかず、敗退した花咲徳栄の野村(左)にボールを渡す岩井監督(撮影・浅見桂子)
横浜に敗れ涙を流しながら引き揚げる花咲徳栄ナイン(撮影・前田充)
横浜に敗れ涙を流しながら引き揚げる花咲徳栄ナイン(撮影・前田充)