球児たちが熱い戦いを繰り広げた第100回の夏の甲子園。ちょうど同じ頃、岡山県には遠い国からやってきた“球児”がいた。

8月6日、ジンバブエ代表として20年東京五輪を目指す3人がおかやま山陽にやってきた。今春のセンバツにも出場した同校の堤尚彦監督(47)は、青年海外協力隊としてジンバブエで野球指導、普及を行っていた経験がある。それが縁でジンバブエやガーナなど31カ国にグラブやボールなどの野球道具を送る活動を継続。来年に行われる五輪予選ではジンバブエ代表を率いる予定だ。堤監督は今回の来日の目的を「野球を通して友達になれる。うちの選手にとっても素晴らしいこと。盗塁やセーフティーバントなど、高校野球の技術を教えて、国に戻ったら他の選手に伝えてほしい」と話していた。

おかやま山陽ナインと約1カ月練習を行ってきたターニャ投手兼外野手(27)、タシンガ投手兼遊撃手(23)、タピワ捕手(21)。サインがなかなか覚えられず、苦しんだ時期もあったが、練習試合にも出場し経験を積んだ。グラウンドにはコーチ陣の指導に「ハイ!」「ハイ!」と大きな声で答える3人の姿があった。

ジンバブエでは犠打や犠飛で得点を取るという考え方はまだ根付いていない。堤監督は「フォアボールで出て犠牲フライで1点。そうやって点を取っていくのが野球」。打つだけではない「スモールベースボール」を注入した。バントはただ当てるだけだった3人も指導を受けて練習を重ね、どこにどう転がせばいいか、日本の技術を習得していった。今回3人を引率したジンバブエ野球協会のモーリス・バンダ会長は「楽しかったよ。学ぶことがいっぱいありました。ジンバブエの選手も楽しかったと思う。厳しくも大変だったと思うけど、毎日一生懸命、ちょっとずつでもうまくなった」と目を細めた。

ジンバブエで続けられそうな練習法もたくさんあった。練習を終えたグラウンドには、モーリスさんにタイヤを使ったトレーニング法を身ぶり手ぶりで教えるナインの姿があった。モーリスさんは「練習環境も使っているのものも高価なものではなくて、古タイヤなどどこにでもあるもので、参考になる」と1カ月でさまざまなものを吸収した。

4人は数日ずつ、おかやま山陽ナインの家をホームステイしてまわった。休日には銭湯やカラオケに行くなど日本の文化も体験。「コーチも選手も受け入れてくれた家族も、いろんな文化を知ることができて、すごく親切にしてもらってうれしかった」とモーリスさん。互いに高め合える、かけがえのない絆ができた夏だった。

【磯綾乃】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)