先制点を挙げ盛り上がる熊本西ナイン(撮影・上山淳一)
先制点を挙げ盛り上がる熊本西ナイン(撮影・上山淳一)

思わず言葉に詰まった。センバツ21世紀枠出場の熊本西の横手文彦監督(43)が智弁和歌山戦で初戦敗退した直後のインタビューで、昨年秋に死球で亡くなった2年生部員の話になったときだった。しばらくの沈黙の後、言葉を絞り出した。

横手監督 正直…。選手は…、チーム全体で悲しみを乗り越えて…。彼のためにも勝って、もっと甲子園を楽しみたかったんですけど。選手も自然と声は出ていたし、部員45人で戦えたと思っています。そのプロセスが大事で、そこは誇りを持ってます。

甲子園での初采配は、13失点、2得点。強豪の智弁和歌山相手という条件を差し引いても誇れる数字ではないが、この舞台に立つまでの苦しさを思えば、甲子園で試合ができるだけでも十分幸せと思えただろう。熊本市内とはいえ、田んぼに囲まれた学校で鍛えたナインが頼もしくも思えたに違いない。

昨年11月の練習試合。死球で突然チームメートを亡くした。「野球どころではない」。それでも遺族からの「やめないで下さい」という言葉で復活を誓った。もともと活動していた地元の子どもたちへの「野球教室」に力を入れた。部員が地元の幼稚園児に野球を教えはじめると、ナインの表情も変わってきた。「これじゃいかんと思ったのか、野球をしたい気持ちが湧いてきたんですね」。

21世紀枠が決まると、グラウンドの練習中に、センバツの大会歌「今ありて」を大音量でかけた。「少しでも甲子園の雰囲気に慣れてもらいたいので」。よく流れるブラスバンドの定番曲も仕入れて流した。甲子園への出発の日、全員で黙とうしてグラウンドを離れた。

指導者として貪欲に努力した。「夢は冒険家になることでした。バイクで日本一周したこともあった。でも自分の人生はひとつだが、教え子の人生は無限大ですから」とこの世界に飛び込んだ。講習会や研修にも積極的に参加した。センバツ出場が決まってからは、熊本県内の監督はもちろん、面識のない県外の監督に電話をして、教えを請うこともあった。今大会中も21世紀枠出場の石岡一、富岡西の監督と連絡を取り、交流を図った。「食事をさせてもらい、選ばれなかった6校の分も頑張ろうと。9校は共同体だと」。結果は出なかったが、明日への大きな財産になった。

野球部員は全員、13に分かれた班に所属している。「他人事を自分事に」。そのスローガンで役割を与えている。「田舎の学校グラウンドを荒らしに来るカラスがいて、選手の弁当を持って行かれたことがあった。これからは『カラス撃退班』を作ろうと思います」。忘れることのできない悲しみを乗り越え、甲子園でプレーするナインを見て、さらなる思いを胸に誓ったに違いない。横手監督の「冒険の旅」は始まったばかりだ。【浦田由紀夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

3回表にピンチを招きマウンドに集まり天を仰ぐ熊本西ナイン(撮影・和賀正仁)
3回表にピンチを招きマウンドに集まり天を仰ぐ熊本西ナイン(撮影・和賀正仁)