昨年12月10日、今春センバツの関東地区・21世紀枠候補校が、県太田(群馬)に決定した。東京都の21世紀枠推薦校だった狛江に、吉報は届かなかった。しかし、昨夏、昨秋の都大会は、都立校唯一の連続8強入り。着実に力をつける“都立の雄”の背景には、西村昌弘監督(37)の指導方法の変化があった。

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西村監督は16年夏、都内の私立校コーチなどを経て同校の監督に就任した。「都立校最初の甲子園1勝監督になること」を目標に指導を開始。しかし、選手との間には意識の差があった。「よく『甲子園1勝だ』と選手に言って、ぽかーんとされてました」。それでも18、19年と2年連続で夏4回戦進出。力はついてきていた。

契機は、現2年生が1年生だった20年の夏。改めてチーム力を俯瞰(ふかん)したとき、「甲子園だなんて言えるレベルではなかったんです」と、気付いたという。同時に、自身が甲子園にとらわれ過ぎていたことにも気付かされた。

その中で見えてきたのが、「選手主導」というスタイルだった。「たった2年半の高校野球ですから、考えを押しつけてはいけないなと。自分が想像する甲子園レベルに選手たちを当てはめるよりも、その子たちの能力を最大化させることが大事だと気付けたんです」。練習中、選手全員を集めて指示することをやめ、主将や副主将など、1人だけに思ったことを伝えるようにした。選手同士で気付いたことを共有し合う環境作りを促すためだった。すると、選手たちの行動に変化が表れ始めた。

主将の大久保衡良(ちから)外野手(2年)は「練習も2時間ぐらいで短い。だからこそ、その後の時間の使い方は自分たちで考えないといけません」と話した。この冬は誰に強制されるわけでもなく、ウエートトレーニングに取り組むようになった。西村監督による「選手主導」への変化が、選手の“自身で考え、行動する習慣”となり、能力の開花につながり始めていった。

センバツ出場はかなわなかったが、チームは次の目標に向かって進んでいる。「先輩たちの成績(都8強)を超えたいです。(都の)21世紀枠候補として、甲子園が少しだけ見えた部分がありましたし、夏は目指せるところまで目指したいです」と力を込めた。

西村監督は「良い思い出を作らせてあげたい。もちろん甲子園には行きたいですけど、選手たちが満足してやれるのが一番なので」と言った。やらされるのではなく、自らやる野球に-。28日のセンバツ出場校発表を心待ちにする高校がある一方で、夏を見据えて、黙々と汗を流す高校がある。【阿部泰斉】