国学院久我山(東京)は、春夏通じて初の甲子園4強入りを果たした。当初の目標「初のセンバツ1勝」を大きく上回り、“久我山”の歴史を塗り替えた。上田太陽内野手(3年)は、主将としてチームをけん引し、子供の頃からの夢をかなえた。

チームメートからの信頼は厚い。尾崎直輝監督(31)は「賢い子ですし、人のことをよく見ている。頑張り屋。1度選手たちに『キャプテンだけに任せっきりの状態でいいのか』って問い掛けたこともあります」。下級生の頃から二遊間でスタメン出場してきた下川辺隼人内野手(3年)も「本当に頼りになる存在」と気持ちを込めて答えた。

上田は根っからの阪神ファンだ。東京に住みながらも、甲子園には母・由美子さん(50)と何度も通った。訪れる度に夢は膨らんだ。「いつかここでプレーしたい」。小学生の時、球場近くにある甲子園素盞嗚(すさのお)神社を訪れ、絵馬に誓った。「こうしえんに出場できますように」。19年に国学院久我山が夏の甲子園に出場した時も観戦した。「このチームで甲子園に出たい」。同校への入学を決意した。月日は流れ、二塁手のレギュラーとして出場し、夢を形にした。上田は「憧れの舞台で試合が出来た。感動しています」と、かみしめた。

後押ししてくれた存在がいた。祖父の孝さんだ。上田のプレーする姿が好きで、誰よりも応援してくれていた。昨秋の都大会期間中、突然がんで亡くなった。母の由美子さんは「毎試合応援してたんです。でも、甲子園には来られなかった。きっと近くで見てくれていると思います」と、目を赤くした。上田も同じ気持ちだった。「小さい頃からずっと面倒をみてくれてました。おじいちゃんの分も、プレーで恩返しが出来るように頑張ります」。そして果たした4強入りだった。

決勝進出をかけた大阪桐蔭戦では、最後の打者になった。結果は空振り三振。「最後の打席で1本打って夏につなげたかった。自分で終わらせてしまった。夏への糧にして必死にやりたいです」。リベンジと優勝という新たな夢が出来た。上田はもう1度、甲子園に戻ってくる。【阿部泰斉】

22日、選抜高校野球の有田工戦でプレーする国学院久我山・上田太陽
22日、選抜高校野球の有田工戦でプレーする国学院久我山・上田太陽