長期ロードの8月。名古屋から東京と続く遠征の間だった。中日戦のある14日の午前中、指揮官・矢野燿大はひっそりとある場所を目指していた。目的地は闘将・星野仙一の墓がある名古屋市内の霊園だ。

当初は15日の移動日に墓参を予定していた。だが天候不順のため、前倒しで試合のある日に出掛けることになった。そこまでしても行っておきたかった。

後日、墓参でどんなことを闘将にお願いしてきたのか。少しだけ聞いてみた。

「いやいや。お願いなんて…。そんな…。『来るのが遅くなりました』。そういうことですよ」

矢野はさらりと言った。願い事はしなかった。これを聞き、矢野という男は分かっているな、と思った。身近な人を亡くしてからこれまでいろいろな本を読んだが、先に去った人に墓前でお願いごとをするのはあまり正しい行為ではないとされる。生前に受けた恩に感謝し、安らかに眠ってくださいというのがまっとうなスタイルらしい。

中日、そして阪神で矢野は星野に鍛えられた。中日時代は阪神にトレードで放出されるという試練も与えられた。だから巡り巡って星野が阪神に来たときはかなり焦ったらしい。「ひょっとして…」。

しかし矢野を「テル」と呼ぶ星野は阪神に来ると「おい、テル、これは阪神ではどうなってるんや」と疑問があるたびに聞き、頼りにされたという。いかにも星野らしい話だ。

野球を愛し、ファンを愛した星野の気持ちを自分なりに感じ取り「誰かを喜ばせる」と掲げ、戦ってきた1年が終わった。試合が終わり、虎番キャップたちの取材も終わった後、矢野に聞きたいことがあった。「1年目、楽しめたか?」。

開幕前、矢野はこんなことを言っていたからだ。「終わった後は自分に楽しめたか? と聞いてみたい」。だから聞いてみた。

「そうですね。そう思えないときも多かったけどね。最後、こういう感じでみんなで戦えて。楽しかったですよ。これで終わりかと思うと少し寂しいです」

勝ったり負けたりが永遠のように続くこの世界。ときにむなしさも漂う。それでも続けられるのは阪神の勝利を自分や家族の慶事のように喜んでくれる人たちがいるからだ。

課題は多い。巨人との差も大きい。それでも来季へ可能性はある。結構、面白い「150試合」だった。(敬称略)

巨人対阪神 9回表阪神2死、代打鳥谷(左)を送り込む矢野監督(右奥)(撮影・垰建太)
巨人対阪神 9回表阪神2死、代打鳥谷(左)を送り込む矢野監督(右奥)(撮影・垰建太)