「朝起きたとき、悔しくてまた涙が出てきました」。


第50回明治神宮大会(大学の部)準決勝。東海大が延長10回タイブレーク7-8で関西大に敗退した。優勝すれば秋36年ぶりの快挙だったが、3番杉崎成輝(4年・東海大相模)は「あと1日仲間と野球がしたかった。そのためにも自分が打ちたかった」と、サポートしてくれたメンバー外の4年生たちの顔を思い浮かべ、一夜明けてもおさまらない悔しさと戦っていた。

「寮に帰ってからもずっとユニホームを脱ぎたくなくて。これで(高校からの)東海のタテジマ最後なのかと思ったら脱ぐのにすごく抵抗がありました。あのあと4年生で飲みに行ったんですけど、一人ひとり話してたら寂しさがもう…。マックスになりました」。

野球のエリートコースを歩んできた。中学時代に湘南クラブ(現湘南ボーイズ)でジャイアンツカップ優勝。東海大相模3年夏に甲子園で優勝。最後はいつも負け知らずで終わった。高3秋には高校ジャパンにも選ばれている。現在プロで活躍する高橋純平(ソフトバンク・県岐阜商)、平沢大河(千葉ロッテ・仙台育英)らと日の丸を背負った。

大学1年春からAチームに入り順調なスタートを切った。しかし3年春のリーグ戦開幕前日に練習で左足首腓骨(ひこつ)骨折。2カ月間の松葉づえ生活、治療とリハビリで5カ月間の離脱を余儀なくされた。初めての大ケガ。しかしこの時、試合に出られない裏方の気持ちに初めて気づいた。左足首には骨を固定するためのボルトが入っている。「気温が低かったり、連戦になると痛むんスよね…」。今大会は5日で4試合の過密日程。試合後は左足にアイシングをぐるぐる巻きにしてケアに努めた。試合では好守を連発したものの、持ち前の打撃は振るわず3試合2安打。こんなに悔しい終わり方は経験したことがない。すぐに前を向いて言い切った。「社会人野球からプロを目指します。絶対に上で活躍したいと思いました」。JR東日本で野球を続ける。


■梅野(Sh2位)を見たとき「何もかも敵わないと思った」(長倉)


杉崎と同じ、湘南クラブー東海大相模の優勝メンバー、東海大・長倉連(4年)。キャプテンなのにどこか頼りない。優しさがにじみ出ているタイプの愛されキャラだ。甲子園のマウンドでエース小笠原慎之介(中日)と抱き合い、全国制覇の栄光を味わった夏から4年。大学入学後は結果が出ず、Bチームに甘んじた。同級生には同じ捕手の海野隆司(4年・関西、ソフトバンクドラフト2位)が。「肩は強いし、何もかも敵わない」。急にやる気がなくなった。自主練には出るものの、部屋に帰ってYOUTUBEを見てダラダラと過ごす日々。純粋に野球に没頭していた高校時代とは真逆で「クソみたいな生活でした。そんな自分が嫌でした」と告白する。

そんな長倉に目を付けたのが、一昨年春に就任した安藤強監督だった。Hondaの監督として都市対抗優勝もある名将は、厳しい東海大相模で主将を務めぬいた長倉の責任感と、求心力に目をつけ、主将に指名した。「大事な場面は長倉」と、DHや代打としても起用。秋は代打打率10割。勝利に貢献できる喜びを再び思い出した。「主将に指名されたとき、海野じゃないの?と思いましたが、監督には公私ともに励ましてもらいました。野球をやり切って引退しようと思えたのも監督のおかげです」。大会前に大手IT企業から内定をもらった。野球を続けたい気持ちもあったが、野球で培った人間力や人の縁を社会人として生かしていく道を選んだ。小1から16年間。3度目の全国制覇は成し遂げられなかったが野球人生に悔いはない。


杉崎も長倉も一度栄光を味わい、挫折し、最後は仲間と本気で野球に打ち込む素晴らしさを思い出した。遠回りしたが、やり遂げたことでつかめたものがあった。「3試合スタメンで出してもらって楽しかった。楽しかったけど、涙が出てきますね」と長倉。野球を続ける者、ピリオドを打つ者。等しく拍手が贈られるのが大学野球だ。明治神宮大会は慶応大19年ぶりの優勝で閉を閉じた。【樫本ゆき】

中学から同じユニホームを着た(左から)長倉と杉崎。苦労を笑って話せるほど充実した大学野球だった
中学から同じユニホームを着た(左から)長倉と杉崎。苦労を笑って話せるほど充実した大学野球だった