第2シードの酒田南が2年生の4番石垣雅海外野手の2打席連続本塁打で日大山形を下し、準々決勝に進出した。同点に追いつかれた8回に勝ち越しソロを放つと、続く9回にはダメ押しソロで試合を決め、高校通算本塁打を17本とした。

 ねじりきれるぐらい腰を回した。同点直後の8回。先頭の石垣は初球から狙っていた。「左中間を意識していた。内角高めのカーブ。うまく右肘をたためた。腰が回ると打球も上がる」。勝ち越しソロをレフト場外手前(推定120メートル)まで運ぶと、続く9回にも直球を120メートルのセンターフェンスすれすれにたたき込んだ。180センチ、74キロの体に、2発で240メートルの飛距離を稼ぐ驚異的なパワーが秘められていた。

 「一生懸命やる子。4番は石垣、彼しかいない」。鈴木剛監督(34)からの信頼も厚い。春県大会で安打が出ない4番とマンツーマンで打撃フォームの改造に着手した。投手寄りに入りすぎていたヘッドを立てることで、バットがスムーズに出るようにした。直後の準決勝、決勝で場外を含む2発を放った石垣は「ボールに回転がかかり、球が上がり飛距離が出るようになった」と、持ち前の長打力にさらに磨きがかかった。

 1つの敗戦が、石垣を徹底的に練習へ追い込んだ。昨夏の山形中央との決勝。1年ながら6番サードで先発したが、2点リードの9回に自らの2失策で5点を失い、甲子園を逃した。父学さん(48)は試合後、LINEで「野球の神様は甲子園はまだ早いって言っている。この悔しさを一生忘れるな」と送った。それに対し返信された「あいよ」の3文字に、悔しさがにじんでいたという。

 この日、スタンドで勇姿を見届けた学さんは「家には飯と風呂に帰ってくるだけ」と、通常の朝7時半からの朝練に加え、夜10時まで自主練に取り組んだ息子の練習漬けの日々を振り返った。

 初戦から通算6打席無安打だった眠れる4番が、自身初の2打席連発で目を覚ました。20日の準々決勝は羽黒と当たる。「先輩を負けさせるわけにはいかない。4番の仕事をしていきたい」。1度閉ざされた聖地への扉を、自らのバットでこじ開ける。【高橋洋平】

 ◆石垣雅海(いしがき・まさみ)1998年(平10)9月21日、山形・酒田市生まれ。小3から亀城ブレーブスで野球を始め、酒田三中では3年時に東北大会に出場し県選抜候補。酒田南に入学後は1年春から正三塁手を務め、2年春から外野手に転向。180センチ、74キロ。右投げ右打ち。家族は両親、姉、弟、祖父母。