意地の一打が、右中間席に吸い込まれた。全国最多36度目の出場となる南北海道代表・北海は、鹿児島実(鹿児島)にまさかの大敗。1-4の3回、この日が誕生日の4番鎌仲純平主将(3年)が放った豪快な大会1号2ランも報われず。5回に大量10失点と投手陣が破綻した。高校野球100年の節目の年、91年ぶりの開幕戦勝利はならなかった。

 チームを鼓舞する豪快なアーチが、右中間席に飛び込んだ。1-4の3回、打席には、主将で4番の鎌仲。外角低めのスライダーを、完璧に捉えた。18歳の誕生日に聖地で放った本塁打は、高校野球100年を飾る夏の大会1号2ラン。「このまま逆転してくれ。後は頼んだ」。後続の連打を願いながら、ダイヤモンドを回ったものの、思いは通じず。5回には大量10点を失い、新チーム結成以来、経験したことのない大敗を喫した。

 序盤から、試合の流れは鹿児島実だった。安打性の打球を再三、好守備に阻まれるなど、不運もあった。開幕戦特有の雰囲気に、湿度70%前後の湿り気を含んだ暑さが、じわじわとナインを苦しめた。「顔が死んでいるぞ」「諦めないで、上を向いて、声を出していこう」。浮足立つチームメートに何度も活を入れたが、最後まで試合の主導権を奪えなかった。地元・旭川で“昭和の番長”と呼ばれた名門の主将は「南北海道代表として情けない結果になってしまい、負けていったチームに謝りたい」と、唇をかんだ。

 超プロ級のスイングスピードを誇る左の大砲にとって、あまりに短い甲子園となった。中学時代はリトルシニアで本塁打を量産。中学1年時の練習試合では、当時小5でマウンドに上がった早実(西東京)・清宮幸太郎一塁手(1年)から本塁打を放って、泣かせたこともある。「誕生日だから、本塁打を打つ。あいつは、そういうやつ」(長沢健汰郎遊撃手)というチームメートの期待に、結果で応えた。

 嫌われ役をいとわないおとこ気を買われて、創部115年目の北海で主将を任された。「最高で、最悪な誕生日でした。本塁打で勢いづけられたら良かったけれど…。甲子園は思っていた以上に、簡単には勝てない、自分たちの野球が出来ない場所だった」と、苦しかった2時間42分を振り返った。チームは夏の甲子園で、出場5大会連続の初戦敗退。「後輩たちには、ここで素晴らしい校歌を歌って欲しい」。北海の教育方針は「百折不撓(ひゃくせつふとう)」。何度失敗しても志を曲げず、再び聖地を目指す。【中島宙恵】

 ◆北海道勢の甲子園本塁打 北海・鎌仲で春夏通算60本目(春19、夏41)となった。夏の開幕戦では25年北海中の田上征雄、85年旭川龍谷の岡田健一以来、史上3人目。学校別では北海17本、駒大苫小牧11本、駒大岩見沢5本と続く。