元近鉄スラッガー、羽田耕一監督(63)が就任2年目の夏、母校三田学園(兵庫)に待望の夏初勝利をもたらした。犠打の重要性を痛感した昨夏の反省を生かし、初回から確実に犠打で走者を進めて2点を先制。4月に亡くなった同校OBの山本功児さん(享年64)へささげるコールド勝ちを手にした。

 母校三田学園を率いる羽田監督に迷いはなかった。初回、1番辰巳友崇主将(3年)が中前安打で出塁すると、2番の末吉光太郎外野手(3年)に初球バントのサインを出した。「高校野球はそういうのがセオリーかな」。就任1年目の昨夏は相手のバントで走者を進める堅実な野球の前にコールド負けした反省を生かした。犠打が決まると、1死一、三塁から4番高田哲平投手(3年)の適時打などで、あざやかな先制パンチの2点で夏初勝利を決めた。

 新チームになってからは高田哲は「1番から9番まで全員がバントができるようになった自信がある」と胸を張るほど練習に取り組んだ結果だった。大黒柱の高田哲は羽田監督からのアドバイスで大きく成長した。打てなくなった時は「自分のスイングをやりなさい。そうすればいずれ打てるようになる」と励まされた。「右脇が開く癖があるので、右手の握り方を教わった」と元近鉄1軍打撃コーチだった技術指導で腕を磨いた。

 同校のOBで今年の4月に亡くなった山本功児氏(享年64)にささげる勝利でもあった。羽田監督は「ご健在だったらよかったんだけどな」とつぶやいた。山本氏は同校のOBで羽田監督の2学年上の先輩にあたる。監督就任の報告を行った時は「思いっきりやってこい」と激励されていた。

 次戦は白陵との対戦。シード校との一戦となるが、2つ目の白星をつかみ取り、天国への大先輩へさらなる吉報を届ける。【山川智之】

 ◆羽田耕一(はた・こういち)1953年(昭28)6月19日、兵庫県尼崎市出身。三田学園2年では遊撃手としてセンバツ出場。71年ドラフト4位で近鉄入団。背番号「3」の主力打者として80年の優勝に貢献。89年に引退後、近鉄1、2軍打撃コーチを歴任し、昨年2月から母校三田学園の監督に就任。