王さん、リベンジしました。早実(西東京)の清宮幸太郎内野手(2年)が、「早明戦」を制して16強入りを決めた。第98回全国高校野球選手権(8月7日開幕、甲子園)西東京大会4回戦の明治戦に「3番一塁」で出場。4-2の6回に右翼線へ適時二塁打を放ち、3打数1安打1打点。初戦からの3戦連発はならなかったが、ユニホームのズボンが破れる激走も見せて逆転勝ちに貢献した。18日の5回戦は国士舘と対戦する。

 明治には負けられない。清宮が意地を見せた。四球、死球、中飛で迎えた6回の第4打席。1死三塁から「狙っていた」という内角直球を右翼線に運んだ。5点目の適時二塁打で、勝利をたぐり寄せた。「王さんの最後の夏は、明治に(甲子園出場を)阻まれている。因縁の相手との接戦を勝ち切れたのは大きい」。58年夏、大先輩の5季連続甲子園の夢を打ち砕いた宿敵からの逆転勝ちを喜んだ。

 足でも明治に重圧をかけた。1-2の3回、先頭打者で2球目が右太ももを直撃。よけようとしたが、フィギュアスケートの技「スパイラル」のような格好になった。1死後、5番工藤航輔外野手(3年)の中前打で一気に三塁へ。「外野も深かったし、行けると思いました」。滑り込んだ際に、ユニホームのズボンが破れるほどの激走だった。

 3回の攻撃終了後、清宮はベンチから出てこなかった。負傷か…。7000人の観衆が詰めかけた球場がざわついたが「デッドボールで引っ込んだみたいな感じですけど(足は)大丈夫。ズボンです」と強調。試合中断は、清宮の「着替え待ち」だった。「よく破けるんですよ。公式戦では初めてだけど、入学してから4着目です」。はち切れんばかりの太ももに、丈夫な生地も耐えられなかった。

 「早明戦」は清宮家にとって特別な意味を持つ。ラグビー・ヤマハ発動機監督の父克幸氏(49)は、早大2年時の関東大学対抗戦で「雪の早明戦」と語り継がれる死闘を制した。その後、大学日本一と日本選手権制覇を成し遂げた。競技は違えど、「打倒・明治」の魂を受け継いでいた。「今日は相手の応援もすごいし、厳しい試合になると分かっていた」。今日17日は父の誕生日。明治からの勝利をプレゼントした。

 ライバル意識を燃やす相手の厳しいコース攻めに、3試合連続アーチはならなかった。それでも「調子は悪くないし、1点欲しいところで打てた。悩むことではないと思う」。昨春のデビューから続く公式戦(国際試合を除く)での連続試合安打を「23」に伸ばした清宮が、着実に甲子園へ前進する。【鹿野雄太】

 ◆58年VTR 早実・王が3時間59分の死闘の末、5季連続甲子園出場を阻まれた。延長12回表、早実は王の二塁打などで4点リード。その裏、1死満塁から王が押し出し四球。宮井監督は王を右翼へ回し、河原田明(元東映)を救援に送ったが走者一掃の三塁打を許し同点。再びマウンドに戻った王がサヨナラ打を浴びた。当時は東京から1代表で、勝った明治は5年ぶり3度目の甲子園出場。両校の夏の都大会での通算対戦成績は早実の11勝3敗。

 ◆父の日本一 清宮の父克幸氏が早大2年の時に、NO8で出場した87年のラグビー明大戦は「雪の早明戦」として語り草になった。前日に大雪が降り、協会役員らが朝9時から国立競技場で雪かきをした。ゴール前の両FW陣から湯気が立ち上るほどの熱闘は、早大が10-7で勝利した。早大はSH堀越、WTB今泉の1年生コンビの活躍もあり、日本選手権で東芝府中を22-16で下して16年ぶりの日本一に輝いた。