大会注目打者を徹底分析し、バッテリーに伝えた。安田も「対策通りに投げられた。怖いと思ったがバックを信じた。ファウル1本で歓声が湧く打者との対戦は楽しかった」。清宮に「高めは浮いてきた」と言わせた。2安打はされたが、1度も走者を置いて清宮に回さなかった。

 杉山監督は故原貢氏を師と仰ぎ「おやじ」と呼ぶ。自身、東海大相模時代に遊撃手として原辰徳前巨人監督と三遊間コンビを組んだ。初戦の勝利後「天国のおやじはもっと練習しろと言ってるよ」と手綱を緩めなかった。「おやじ」の教えを守り、普段から野球以外、部員には人間性向上に努めている。全部員が学校のグラウンドに木製「マイトンボ」を持っている。「自分でつくらせて、名前も書かせている。トンボ1つかけるにもどうすればいいか考えさせるためと道具を大事にするため。試合の勝敗は最後は人間性がでるんだよと言ってます」。トンボ1つにもこだわった指導法は聖地で実を結んだ。

 「野球はスピード、パワーだけじゃないところを見せられたと思います」(安田)。東海大グループの中で“本家”東海大相模と同じデザインのユニホームを「許された」東海大福岡ナインが、学校の歴史に新たな1ページを刻んだ。【浦田由紀夫】

 ◆杉山繁俊(すぎやま・しげとし)1957年(昭32)2月9日、神奈川県藤沢市生まれ。東海大相模、東海大、日産自動車で内野手として活躍。84年には全日本に選ばれ世界大会(キューバ)に出場。91年福岡工大付(現福岡工大城東)の監督に就任し甲子園5度出場。13年4月に東海大福岡の監督に就任し今センバツ出場で甲子園通算6度目(春4回、夏2回)。楽天中島、阪神梅野らを育てた。今年センバツ前に還暦を迎えた。