打球はライナーとなって右翼右を襲った。バウンドしたところを、右翼手が捕球した。ところがだ。打った五商の4番打者、佐伯瑠郁(るい)二塁手(3年)が走れない。左足を引きずりながら懸命に歩を進めるが、一塁は遠い。たまらず頭から突っ込んだ。その直前、ボールが転送された。「右翼ゴロ」になった。

 2回の先頭打者だった。「監督に無理を言って打席に立たせてもらいました。走れませんでした」。チームメート2人に抱えられ、ベンチに退いた。

 4日前のことだ。打撃練習用マシンの球が、佐伯の左すねを直撃した。ボールの出具合を調整中、本塁の後ろにいた。ネットに隠れていたが、左足が出ておりそこに130キロを超える球が当たった。全治3週間の診断だった。「肉がない部分で骨膜が破れて血が入ったみたいで。今日の朝も、試合前も痛み止めを打ったんですが」。

 どうしても出場したかった。「100回大会に50年ぶりの勝利を」。ナインの合言葉だった。62年に4強入りしたこともある強豪も、68年を最後に、勝利から見はなされていた。部員不足で不出場、連合チームでの参加もあった。2年前、佐伯ら6人が入部する直前まで男子部員は0。うち4人が残り、この日最後の夏を戦った。

 4番の不運なケガ、守備の乱れもあって50年ぶり勝利はならなかった。「後輩たち(1年7人、2年6人)がいるんで。打席にも立てたし、悔いはありません」。試合中、ベンチから終始、大声を張り上げた佐伯が力強く、こう言い切った。