甲子園Vの「DNA」は、半端なかった。南福岡大会では筑陽学園が、西日本短大付全国V主将の次男、中村敢晴(かんせい)内野手(1年)が夏初打席で決勝適時打。初回に一気に打者19人8安打8四死球で15得点を奪う「半端ない」先制パンチを呼び込み5回コールド勝ちでの2年連続8強に進出。

 センスの塊だ。筑陽学園の中村敢が、外角の変化球に泳がされながらも右前へタイムリーを放った。1点を先制された直後の1回裏。同点とした直後の2死一、三塁から放った勝ち越し打だった。「意地でも三塁走者をかえしたかった」。あどけなさが残る16歳に笑みが浮かんだ。

 父は92年夏、西日本短大付が甲子園で優勝したときの主将で、日本文理大・中村寿博監督(43)。長男の西日本短大付3年、宜聖(たかまさ)外野手は13日の3回戦で敗れていた。「兄からはガンバレと電話をもらった。父には追いつかないといけないと思っている。兄がダメだった分、頑張りたかった」。サラブレッドの一打もあり、この回チームは8長短打と8四死球で15得点。「打者2巡」の猛攻を浴びせ5回コールド勝ちした。

 1カ月前に「バットの振りすぎで」右第1肋骨(ろっこつ)を骨折したが、2週間で治してみせた。この日が夏初めての打席。いきなりの大仕事で父譲りの勝負強さを発揮した。父だけでなく当時のバレー部主将だった母も西日本短大付時代の教え子でもある江口祐司監督(55)は「よく打ってくれた。初めてのフル出場。明るい性格だしチームに欠かせない」と目尻を下げた。

 兄とともに西日本短大付への進学の道もあったが「全力疾走の姿が印象的だった」と筑陽学園を選んだ。「父の格言に『失敗は成功のもと』がある。思い切ってやれとも直接言葉ももらった。1回表の守備でミスもあったけど(初打席は)思い切って打った」。両親の運動神経とムードメーカー的な性格。背番号6の1年生6番打者が、メモリアル大会の主役へ躍り出る。【浦田由紀夫】

 ◆中村敢晴(なかむら・かんせい)2002年(平14)4月13日、福岡県久留米市生まれ。大分市に移住した後の大在小1年から兄宜聖(たかまさ、西日本短大付3年)と同じ「大在少年野球クラブ」で野球を始める。大在中では「明野ボーイズ」に所属し遊撃手として2年からレギュラーで4回連続全国大会に出場。好きなプロ野球選手は巨人坂本勇。183センチ、68キロ。右投げ右打ち。