秋田中央が3時間37分に及ぶ延長11回の死闘を制し、秋田市立時代以来45年ぶりの甲子園切符を手にした。

好投していたエース松平涼平(3年)が4-0の8回2死走者なしから明桜打線につかまり、同点に追いつかれる苦しい展開だったが、11回に4番斎藤光外野手(3年)がサヨナラ打を放ち、5-4で勝利した。甲子園でも全員野球で上位進出を狙う。

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優勝を決める一打は4番のバットから生まれた。8回、明桜に4-4に追いつかれてから、9、10、11回と満塁のピンチが3度あったが、奇跡的にしのいで迎えた11回裏2死二塁。2ストライクと追い込まれていたが、斎藤光は冷静だった。「4番の意地を見せられた。今までで一番野球が楽しかった」。真ん中内寄りのストレートをフルスイング。大きな打球がセンターに飛び、ダイビングキャッチを試みた相手のグラブに収まりかけたが、グラウンドに落ちた。「越えてくれ、越えてくれ」と祈りが通じた。「最後の打席は自然と体が動いてリラックスできた。打てる気しかしなかった。気持ちで打ったサヨナラ打」。二塁まで進むと、ベンチから飛び出してきた仲間にもみくちゃにされた。9回裏1死三塁で迎えた前の打席では、遊ゴロに打ち取られた。その悔しさ最後にぶつけた。

斎藤光は大会前半の2、3回戦は2試合で1安打と苦しんでいた。3回戦をテレビで見ていた兄翔さんから「打撃フォームが小さい。自信がなさそう」と言われ、自信を持つ大切さに気付かされた。兄の指摘を受け臨んだ準々決勝では打席に入る前に「シャー」と気合を入れ、4安打2打点と活躍。続く準決勝でも2安打。決勝前にも「最後ぐらい全力でやれ」と再び兄から魔法の言葉をもらい、サヨナラ打含む2安打3打点と期待に応えた。

エース松平は、ピンチを招きながらも粘投。要所要所で三振に打ち取る気合の投球で7つのゼロを並べた。それでも8回、明桜打線につかまり4失点で降板。連続無失点記録は31イニングで止まった。「今日のピッチングは50点。序盤はテンポ良くいけた。最後まで何が起こるかわからないのに、8回に2アウトを取ってあと1人と思ってしまった」と反省を口にした。松平の魂を引き継いだ熊谷郁哉と信太覇月(ともに3年)が1点を許さず、サヨナラにつなげた。

佐藤幸彦監督(45)は「守りも攻撃も、その場で求められたことを全力でやった結果が出た。選手はよく頑張った。勝った人しかいけない場所に行こうと言ってきた」。45年ぶりの思いをぶつけ、秋田中央ナインが聖地で大暴れする。

【山田愛斗】

◆秋田中央 1920年(大9)創立の県立校。生徒数は626人(女子331人)。野球部は45年創部で部員60人(マネジャー7人)。夏の甲子園出場は45年ぶり5度目。秋田市立から校名変更。主なOBは、元近鉄佐藤秀明、元大洋三浦正行ら。学校所在地は秋田市土崎港南3の2の78。和田央校長。