朗希をまた、マウンドへ-。大船渡(岩手)ナインが、前日に160キロの直球含む194球を投げたエース佐々木朗希投手(3年)抜きで、岩手大会4強に進出した。

大和田健人、和田吟太の両3年生右腕が12回4失点でしのぎ、最後は千葉宗幸主将(3年)が決勝適時打を放った。佐々木を含むナインの多くは、中学時代に地区選抜チーム「オール気仙」のメンバー。三陸の港町で育んだ結束力で、甲子園の夢をつないだ。

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5番千葉の耳に、太い声が届いた。「何を言っているかまでは分からなかったけれど、あれはスタンドの父の声でした」。どうしても1点が欲しい延長11回1死一、三塁。夢と希望を乗せた強いゴロが、二塁手のグラブをはじいた。待望の勝ち越し点。ベンチもスタンドも互いに抱き合った。

佐々木がフィールドにいない。千葉は「大変な試合になる」と想像したが、普段着の野球ができた。大型運転免許を取得した父耕成さん(53)らがハンドルを握り、毎週のようにバスで東北各地に遠征しながら培った結束力。ナインたちは「最高のメンバーです」と声をそろえる。スタンドでは「親もね」と付け加え、豪快に笑い合った。

中学軟式野球の球児が、高校硬式野球に慣れるためのKボール。その選抜チーム「オール気仙」時代からのメンバーが多い。東北大会で準優勝し、東日本大会にも参加するなど、現在のチームの礎は中学時代に作られた。「このメンバーで甲子園へ」と誘い合い、佐々木も一般受験で進学校の大船渡に合格した。

当時は成長痛で主に一塁を守った佐々木に代わり、和田がエース格。その和田が修羅場をくぐり抜けた。8回からリリーフし、10回には2死一、三塁という絶体絶命のピンチを乗り切った。春季県大会初戦では初回6連打で顔が青ざめたが、この日は「仲間がいるんだ」と言い聞かせ、4イニング無失点で勝利を呼び込んだ。父浩之さん(54)は「チューしたい!」と笑い、目を潤ませた。

勝利が近づくベンチでは、柴田貴広投手や佐川侑希マネジャー(ともに3年)が号泣していた。親と子、子と子、親と親。強い結束の裏には悲しみもある。11年3月の東日本大震災。大事な人を亡くし、家を失い、不自由な日常を強いられたナインも決して少なくない。その共有経験が佐々木の母陽子さんの「甲子園は大船渡のみんなの夢だから」という言葉に凝縮される。あと2勝。彼らは、ここまで来た。【金子真仁】

◆気仙(けせん)地区 岩手県沿岸南部の大船渡市、陸前高田市、住田町からなるエリア。黒潮の影響で県内では比較的温暖。積雪も少ない。沿岸北部・久慈市では驚いた時の表現「じぇじぇじぇ」がNHK連続テレビ小説「あまちゃん」で有名になったが、気仙地区の一部シニア層には「ばばば」と驚く人もいる。