聖光学院が2-0で日大東北を下し、13年連続16度目の優勝を果たした。

エース須藤翔(かける)投手(3年)が初回に奪った2点を守りきり、5安打3四死球の2試合連続完封で、日大東北・磯上航希(3年)との投手戦を制した。春は支部大会と県大会で2敗を喫した絶対王者が、どん底からはい上がって覇権を守った。

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福島の絶対王者が「令和の下克上」を完結させた。優勝の瞬間、聖光学院ナインはマウンドで一つになって喜びを爆発させた。13連覇の偉業など頭になかった。とにかく部員全員でつかんだ優勝がうれしかった。校歌を歌い終えると一目散に応援席に駆けだし、控え選手と喜びを分かちあった。清水正義主将(3年)は「春に負けて良かった。紆余(うよ)曲折があったけど、やっと弱い自分を打破できた」。つらい3カ月間を思い出すと涙が止まらなかった。

5月3日の春季県北支部決勝で福島商に敗れ、県内公式戦の連勝が49で止まった。16年5月22日、春季県大会準決勝で磐城に敗れて以来の敗戦は、決して偶然ではなかった。続く県大会2回戦でも東日本国際大昌平に敗退。負けることを知らないチーム内に不協和音が流れた。清水のもとには、「なんであいつが試合に出ているんだよ」といった不満をぶつけてくる者もいた。

清水は「自分たちは野球の実力だけでは勝てない。1回チームをぶっ壊して、新たに作り直さなくてはならない」と腹を決めた。意を決し斎藤智也監督(56)に直訴し、午後4時から8時までの通常練習を全てミーティングに充てた。2週間、とことん気持ちをぶつけあった。全員で言いづらいことも言い、耳が痛いことからも逃げなかった。「今ではメンバーと控え選手の、お互いを思う気持ちは日本一だと思う」(清水)と言い切れるまでになった。

日大東北・磯上に3安打に封じられながらも、要所で堅い守備を見せて切り抜けた。大会期間中「下克上」と言い続けてきた斎藤監督は「野球をナメて勘違いしたことで、野球の神様に突き放された。謙虚になって自分と向き合うようになったことが、今日の試合の我慢にもつながったんじゃないか」と選手の成長を認めた。

大会直前の練習試合で、萩田翔外野手(3年)が右手に死球を受け、全治3週間の骨折で登録を外れた。メンバーの気持ちは「甲子園には間に合う。萩田を絶対に連れて行く」でまとまった。そして試合後に清水は、仲間から「チームを作り直してくれてありがとう。お前、最高のキャプテンだよ」と言われた。どん底を味わった新生・聖光学院が、甲子園でも一丸野球を貫く。【野上伸悟】

◆聖光学院(せいこうがくいん)1962年(昭37)年に聖光学院工として創立した私立校。77年から現校名。生徒数は695人(女子172人)。野球部も62年創部で部員119人。甲子園出場は春5度、夏は13年連続16度目。主なOBは楽天卓丸(八百板)、阪神歳内宏明、湯浅京己。所在地は福島県伊達市六角3。新井秀校長。