初出場の仙台城南(宮城3位)が磐城(福島3位)を6-3で下し、準決勝進出を決めた。阿部伶桜投手(2年)が8安打を浴びながらも要所を締め、2回戦の花巻東(岩手2位)に続き2試合連続完投。1点差に迫られた7回裏には立山創太郎外野手(1年)の2ランが飛び出すなど、ミラクル快進撃が止まらない。鶴岡東(山形1位)、仙台育英(宮城1位)、盛岡大付(岩手1位)の強豪私学も勝ち上がり、それぞれ「センバツ当確」とされる決勝進出へあと1勝に迫った。16日は休養日で、17日に運命の準決勝戦が行われる。

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百戦錬磨の角晃司監督(59)も、今回ばかりは興奮を抑えきれなかった。

7回、立山が勝利を引き寄せる2ランを放つと、笑顔で出迎えた。「信じられなかった。宝くじみたい」。09年5月に就任してから10年、「監督は点が入っても、すぐに次どうするかを考えなければいけないから、絶対に感情を出してはいけない」と長年守ってきたポリシーを初めて破った。

東海大相模、東海大時代は巨人原辰徳監督(61)の1学年後輩だった。卒業後は社会人野球の三菱ふそう川崎で外野手としてプレーし、31歳で現役を引退。5年間のコーチを経て、36歳から社業に専念した。5万点あるトラックの部品を調達する部の課長にまで登り詰め、約400億円の取引を任せられるまでになったが、野球を諦めきれなかった。49歳、あと数年で退職金を満額もらえたが、指導者転身を決意した。「ゼニカネじゃない。野球が好きなんです」。

当時、東海大系列の高校には空きがなく、縁あって単身赴任で川崎から仙台にやってきた。高校時代の故原貢氏、大学時代の岩井美樹氏(64=国際武道大監督)、三菱ふそう時代の垣野多鶴氏(68)の元で学んだことが柱となっている。「1つの塁やアウトをとること、とられないことに全力をつくす」を徹底する。「バックアップや全力疾走は技術がいらない。そこを100点とろうよ」とスキのない野球を目指してきた。この日失策5と乱れた磐城に対し、無失策。その差が勝敗にも結びついた。

花巻東戦の前には「自分たち以外はみんな相手が勝つと思っている。勝ったら仙台中、学校中が大騒ぎになるぞ。こんなチャンス2度とないぞ」とモチベーションを上げ、ジャイキリを現実にした。「甲子園出場が決まったら真っ先に辰徳さんに電話しますよ」。あと1勝で来春のセンバツ出場が見えてくる。角マジックで日本中をあっといわせるかもしれない。【野上伸悟】

▽磐城・沖政宗投手(2年、3連投も6回途中で無念の降板)「自分がもっと頑張らなきゃいけなかった。自分たちのミスで崩れたことを肝に命じて頑張りたい」