日刊スポーツの高校野球担当経験記者が、懐かしい球児たちの現在の姿や当時を振り返る随時連載企画「あの球児は今」。今回は05年春に愛工大名電(愛知)が初の全国優勝した時の主将だった元オリックス内野手の柴田亮輔さん(32)です。最後の夏、遊撃の守りで打球がユニホームの中に入った珍しいプレーへの思いを語ってくれました。

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春夏連覇を狙う大事な初戦だった。大会第4日の05年8月9日、愛工大名電の相手は初出場の清峰(長崎)。0-0の5回表、清峰2死満塁。3番打者がたたきつけた打球は遊撃手だった柴田さんの前で高く跳ねた。体で止めようとした柴田さんのユニホームの胸の隙間にボールがスッポリと入り込み、どこにも投げられず記録は内野安打。先制点を許してしまった。

当時の日刊スポーツ紙面には「ボールが出てこないんです」とコメントが残っていた。15年前のプレーを柴田さんは思い返した。「ちょっとイレギュラーしました。二塁ベースが近かったので(体で)前に落とせば大丈夫かなと、胸に当たった感覚があったので、ボールを握ったらユニホームの上からでした」。右手で中の球をつかみながら、二塁ベースへ行こうとしたが間に合わなかった。「1度投げようと止まった。最初からベースを踏めば…。あそこでアウトを取っていれば1回戦を勝てていたかもしれない」。試合は延長13回で敗れ、初戦で姿を消した。春夏連覇のために新調したユニホームはお蔵入り。その後はボタンとボタンの距離が縮まった。

オリックスなどで8年間プロでプレーしたが、1軍出場はなかった。「後悔はある。ケガもして自分の思いが弱かったかな」と正直な思いを口にした。

現在は自動車用マフラーなどをつくるフタバ産業(本社・愛知県岡崎市)で総務課に勤め、同社の軟式野球部の監督を務める。今年で就任3年目、昨年は全国大会で初の8強に導いた。軟式のトップレベルではロースコアの接戦が多い。「1点が大きい。1点を取る野球」と話す。19人の選手には「絶対、全力疾走」を徹底的に教えている。最後まで何が起こるか分からない。突然、ボールがユニホームの中に消えた経験を持つ柴田さんだからこそ、誰よりも説得力がある。【石橋隆雄】

○…柴田さんは「強く打っても球が(バットで)つぶれるので難しい」と軟式野球の難しさを説明する。17年から軟式球が新規格に変わった。これまでのA号球からM号球へ。重さは2グラムほど重くなり「跳ね方も高くない。ちょっと硬くなりました」と、より硬式球に近づいたという。「(硬式でプレーしていた)大学生などが投球でも打撃でも今までより軟式に入りやすくなっている」と、新規格のプラス面を強調した。

◆柴田亮輔(しばた・りょうすけ)1987年(昭62)7月18日生まれ、愛知県出身。愛工大名電では2年時にセンバツ準優勝。3年春は主将として初の全国優勝に導く。3年夏と合わせ3度甲子園出場。同級生に西武十亀、1学年下に中日堂上がいる。05年高校生ドラフト3巡目でオリックスに入団。13年にソフトバンクと育成契約し、その年限りで退団。14年からフタバ産業で軟式に転向。18年から監督に就任した。1軍出場なし。183センチ、77キロ。右投げ左打ち。