明豊(大分)は史上初めて決勝まで5試合無失策で散った。2-2の9回1死満塁。8回から救援したエース京本の2ストライクからの3球目。「追い込んだ後の真っすぐが高かった」という失投を、東海大相模の3番小島にジャストミートされた。弾丸ライナーは遊撃の幸(ゆき)主将のグラブをはじき、中前にサヨナラ打が転がった。悔やまれる打球処理に、幸は「捕れたボールだったが甘さが最後のプレーで出た。京本を助けられず悔いが残る」とうなだれた。

それでも選手一丸となって歴史を塗り替える初の決勝進出だった。新チーム発足時、川崎絢平監督(39)から「史上最弱」と表され、ナインは反骨心で奮闘した。幸は「その言葉がなかったらここまで来ていない。見返してやろうという気持ちだった」と振り返る。500本のティー打撃を1日2度に増やし、主力25~30人が全員ノーエラーで回るまで終わらない「ノーエラーノック」で鍛えられた。全体練習後もコーチから個人ノックを受けるなどして課題を克服。センバツでの5試合無失策はその成果だった。京本、太田、財原による継投、そして堅守で、3度の1点差、1度の2点差で勝ち進んでいった。

サヨナラでの準優勝。幸は「堅い守備力は投手中心にできたと思う。(守備から)流れをつくれて自信を持って行こうと思う」と手応えを得た。そして気持ちを切り替え、夏へのリベンジを誓った。「3年生の分も背負いやってきた。夏はここに帰って日本一を取りたい」。今大会の32校で唯一3年連続の出場。明豊は成長している。次は8月の甲子園。反骨心の塊となって、再び聖地で躍動する。【菊川光一】

◆無失策試合 明豊-東海大相模戦で記録。今大会7度目。明豊は今大会5試合すべて無失策試合に絡み、チーム5試合無失策は大会史上初。決勝の無失策試合は19年の習志野-東邦以来。