今春のセンバツに出場した京都国際が京都外大西を逆転で破り、創部22年目で初の夏の甲子園出場を決めた。エース森下瑠大(りゅうだい)投手(2年)が2回途中から9回まで無失点のロング救援。その粘りに4番中川勇斗捕手(3年)が応えた。1点を追う4回に「森下が抑えてくれて。女房役として」と左翼席へ逆転の2ラン。これが優勝決勝アーチとなった。

センバツ2回戦の東海大菅生(西東京)戦で中川は5回に走者一掃の二塁打を放って一時逆転したが、好投していた森下を支え切れず、9回に3点を取られてサヨナラ負けした。敗退後「絶対もう1回甲子園に行くから」と母初美さんに約束していた。

愛知・小牧市出身で中学時代は愛知尾州ボーイズに所属。2年時に全国大会に出場したが、3年時は惜しくも届かず。引退時に「高校では甲子園に両親を連れて行く」と誓った。故郷と同じ名字の小牧憲継監督(37)に誘われたことも縁に感じ「自分の力で」と甲子園未出場だった京都国際へ。初美さんがスタンドから応援する中、自らの一振りで有言実行の2季連続出場。中川は「ほっとしている。支えてくれてありがとう」と照れくさそうに両親への感謝を口にした。続けて「まだ甲子園がある。応援お願いします」と全国制覇へ気持ちを切り替えた。

小牧監督は「2年生投手をよく導いてくれた。頼もしい」と攻守で貢献した中川をたたえた。指揮官は今大会中、「甲子園の借りは甲子園でしか返せない」と言い続けてきた。雪辱を懸けて、成長した京都国際が夏の聖地に帰還する。【岡崎空日南太】

◆京都国際 1947年(昭22)に京都朝鮮中として開設された。58年に学校法人京都韓国学園に。63年には高等部が開校された。野球部は99年4月に創部で部員は59人。04年に日本の学校教育法第1条の認可を受ける。日韓両国から中高一貫校として認められ、京都国際中学高等学校となる。普通科のみで、全校生徒136人(うち女子69人)。所在地は京都市東山区今熊野本多山町1。朴慶洙校長。