全国高校野球新潟大会を新型コロナウイルスの影響で出場辞退した中越が3日、3年生の引退試合を三条パール金属スタジアムで行う。3年生36選手全員が出場予定だ。最後の夏が消えた3年生の思いを部全体で受け止め、高校野球生活の区切りをつけて、未来に進む花道が用意された。

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「高校野球の区切りとして真剣に臨みたい」。前チームで外山俊捕手(3年)とともにダブル主将を務めた鷲沢皇源一塁手(同)は引退試合での全力プレーを誓った。試合は3年対1、2年選抜、または3年生同士のどちらかを予定する。原則3年生は全員出場。試合用のユニホームを着用し、新潟大会の登録メンバーは背番号もつける。審判は公式戦と同様に県の公式審判員が務める。

根津一部長(35)は「やり切る場を作るのが我々の仕事」と言う。新チームの全体練習が始まった7月29日、3年生も集めて引退試合開催を伝えた。当初は同じようにコロナ禍で出場辞退した他県校との交流戦実施も検討されたが、感染再拡大のために断念。部内での試合になった。鷲沢は「きっちりやろうと3年生で話し合った」と意思を固めた。

夏の甲子園に11度出場する中越の出場辞退が決まったのは7月13日。「その日は何も考えられず、スマホもテレビも見なかった」。鷲沢は当日の心境を明かす。全部員が集められ、根津部長から臨時休業に伴う出場辞退を聞かされた瞬間、一斉におえつが漏れた。本田仁哉監督(44)の「申し訳ない」という言葉には号泣が重なった。

出場辞退のニュースが伝わると、すぐに昨年の主将だった広瀬航大(桜美林大1年)から鷲沢に電話が入った。「今までお疲れさま」。そして「これからだぞ」。昨年、全国的な感染拡大の中で夏の甲子園と地方大会が中止に。代わりに新潟県独自大会が実施され、中越は優勝した。「航大さんたちは最後まで前向きにやり遂げた」。鷲沢は自分たちが後輩に背中を見せる番になったことを自覚し、徐々に気持ちを切り替えた。

今回の経験から感じたことがある。「1分1秒も無駄にしてはいけない。完全燃焼できるように1つ1つのことに向かい合っていきたい」。コロナ禍で味わった悔しさを、悔しいままにしてはならない。前を向く材料にしなければ高校野球で培ったことが無駄になる-。鷲沢は大学で野球を続け、指導者になる目標を持つ。ほかの3年生も目指す未来がある。「ここでけじめをつけて進む」(鷲沢)。将来へ1歩踏み出す姿を3年生が見せる。【斎藤慎一郎】

◆新型コロナでの出場辞退 福井商が野球部員含む複数生徒の感染を確認し、7月10日に辞退を発表。その後も部員の感染や感染拡大の影響を理由に、海部(徳島)松山工(愛媛)星稜(石川)東海大相模(神奈川)などが相次いで辞退を発表した。

◆出場辞退の経緯 7月11日、学校側が新型コロナウイルスの陽性反応が生徒から出たことをホームページで公表。13日には検査の結果、感染が校内で広がっていることを発表。同日から18日まで臨時休業を決定した。野球部は16日の新潟大会初戦で長岡と対戦予定だった。規則では感染症によって試合当日に学校が臨時休業になった場合、欠場になることが定められている。中越はこの規則に該当し、13日に出場を辞退した。