雨にたたられた夏の甲子園に激震が走った。全国高校野球選手権の大会本部は17日、新型コロナウイルスに集団感染した宮崎商と、感染者1人の東北学院(宮城)の2校の出場辞退を発表した。

宮崎商は陽性者13人、保健所から8人が濃厚接触者と判定された。一方の東北学院は個別感染のため大会出場自体は可能だったが、学校側の判断で辞退に至った。宮崎商と対戦予定だった智弁和歌山、東北学院の相手、松商学園(長野)は不戦勝が決まった。甲子園での不戦勝、不戦敗は春夏通じて初となった。

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創部50年目で春夏通じて甲子園初出場だった東北学院も、新型コロナウイルス感染にともない、無念の辞退となった。大会本部は宮崎商のような集団感染ではなく、個別感染と判断。21日の2回戦、松商学園戦は出場できる見込みだった。だが、東北学院の阿部恒幸校長から午後6時10分頃、大会本部側に辞退の申し出があり、受理された。

同校は11日の1回戦で愛工大名電(愛知)を破り、甲子園初勝利を挙げた。2日後の13日、選手1人が発熱し、同日夜、14日朝のPCR検査でともに陽性判定を受けた。15日には地元保健所から部員3人と、チームと大会本部の調整などを担う朝日新聞記者の計4人が濃厚接触者と判定された。感染経路は不明で、個別感染のケースだった。

学校側は「試合出場で陽性者が特定される可能性があり、生徒の将来に支障を及ぼす恐れがある」と辞退を決断した。渡辺徹監督(50)は「結果的に選手を守れず、大変申し訳なく思います」と話した。初勝利の歓喜から一転。創部50年目、男子校として臨む最後の夏は、わずか7日で残酷すぎる結末を迎えた。

◆過去の全国大会出場辞退 病気によるケースでは1922年(大11)8月の第8回大会(鳴尾球場)で、新潟商が大会前に棄権を申し出た。部員11人の新潟商は北陸代表となった後、4番を打つエースが食あたりのため40度の発熱。10人でも参加できたが、学校長が「ぶざまな負け方は学校の名誉にかかわる」と判断し、棄権した。北陸準優勝の長岡中を代替校とする案も出たが、選手を電報で呼び集めても間に合う見込みがなく、北陸代表を欠場として大会を開いた。このほか春夏とも不祥事による辞退校はあったが、いずれも代替校が出場。不戦勝、不戦敗の例はない。