来年4月から東洋大姫路(兵庫)で指揮を執ることが決まった履正社(大阪)の岡田龍生監督(60)が4日、大阪・茨木市内で会見した。

-東洋大姫路から次期監督就任の発表があった

岡田監督 藤田監督の方から次やってもらえないかという打診があった。正式には今年の5月くらいですかね。履正社で35年させていただいて全国優勝までさせていただいたので、すぐに分かりましたと答えは出せず、悩みました。家族とも相談して。1人で住むということもあるので生活の不安もあった。

-母校への思い

岡田監督 今の私があるのは当然、東洋大姫路があってのもの。当然感謝はしています。私の2つ上が全国優勝でした。優勝したあとの姫路駅前で、パレードのようなね、我々1年生がガードマン代わりになって。すごかった。まさか監督として日本一になれるとは思ってもなかった。母校からそういう話があるとも考えていなかった。非常に光栄でした。履正社で終わると思っていました。

-思い出深いこと

岡田監督 26歳で来て、学校の狭いグラウンドで、全面使えるのも週に2回しかなくて。環境的に厳しく部員も13人でスタートした。クラブ運営も非常に厳しかった。

-97年夏に初出場

岡田監督 ミラクルと思っていた。これが最初で最後の甲子園かなと。35年の経験の中でも勝てそうだなというチームで勝てなかったり、しんどいなというチームが勝ち上がったり。高校野球って分からないなと。全国優勝したチームも僕ら指導者は夢にも思っていなかった。甲子園で一戦ずつすごい力をつけ、こんなに子どもを成長させるんやなと感じていた。

-東洋大姫路はなかなか勝てない時期があった。

岡田監督 私は35年積み重ねてきたノウハウは持っているが、勝負ごとには気合と根性も大事と思っている。藤田さんの野球に対する執念がここまでの近畿1勝に出た結果でもあるのでは。最後甲子園で終わる可能性が残っている。これほど幸せなことはない。

-これからの履正社はどうなってほしいか

岡田監督 (後任になる現部長の)多田先生には言っているが、僕が最初そうだったように好きにやってくれと。極端に言ったらユニホームを赤にしても緑にしてもいい。トップが変われば方針は変わる。遠慮せんと進めてと話をしています。履正社が強化をやめることはない。スポーツも勉強も今まで通りという考え方でやっていきます。

-教え子から連絡はあったか

岡田監督 岸田(オリックスコーチ)、T-岡田(オリックス)、山田(ヤクルト)、坂本(阪神)くらいには連絡しました。「お疲れさまでした。また頑張ってください」という感じでしたね。

(自ら切り出して)

今年はなんとかヤクルトとオリックスが日本シリーズをしてほしい(笑い)。この前、T-岡田のお父さんが電話をくれまして「先生の最後で、まさかオリックスが優勝できるなんて」とえらい喜んで。どっちも2年連続最下位でそんな頭なかったんですが、オリックスとヤクルトになったら京セラドーム大阪のネット裏のどっちに寄るわけにもいかへんので、真ん中で応援しようかなと。最後、彼らも楽しみを作ってくれた。

その前に阪神とヤクルトもやるのかもしれないし。ここのところ坂本もずっと使ってもらっている。(桜宮コーチ時代の教え子の)矢野監督が僕に気を使ってくれているわけではないんですけどね(笑い)