今夏の甲子園16強入りに導いた盛岡大付(岩手)の“二刀流エース”渡辺翔真投手(3年)が仙台6大学野球の強豪・東北福祉大に合格した。4年後の目標にプロ入りを掲げ、大学では野手一本で勝負する覚悟を固めた。新たなステージでさらなる成長曲線を描いていく。関口清治監督(44)の長男爽汰外野手(3年)も同大に合格。小4からの選手生活に一区切りをつけ、学生コーチとして再出発する。

プロに行くために渡辺は、関口監督の母校でもある東北福祉大へ進学を決めた。「伝統のある大学でプロを目指す。関口先生の母校でもあるので、(関口監督と)同じ道をたどることに間違いはないと思った」とよどみなく言い切る。今秋ドラフト会議では同校OBで同大に進学した三浦瑞樹投手(22)、大里昂生内野手(22)の両選手が、育成指名でプロ入りを果たした。渡辺にとっては、大きな刺激となっている。

「自分も、もしかしたらプロ野球選手になれるかもしれない。結果を出すしかないですけど本気になってやってみようと思った」

聖地で堂々の「快投劇」を演じたが、大学では野手一本で勝負する。16強入りした夏の甲子園、沖縄尚学との2回戦で8回2死まで完全投球を披露。達成していれば大会史上初となる、完全試合の大偉業だった。「ヒットを打たれてからが、怖いと思っていた。今となっては、もっと貪欲に(完全試合を)狙いにいっても良かったかな」と笑顔で振り返った。本格的な投手歴は高3春からで、野球を始めた小学2年から野手がメインだった。だからこそ、こだわりがある。「野手でやっている時間の方が長かった。投手でやって結果が出なければ、後悔すると思った」と自らが悔いなく、納得のいく選択を探った。

1年春からベンチ入りし、高校3年間で捕手以外のポジションを守った。渡辺は「出場機会をいただけるのであれば、どこでも守ります」とユーティリティー性を発揮し、アピールしていく覚悟だ。夏以降は木製バットを振り込み、徐々に手応えもつかんだ。「最初は飛ばないなと思ったけど、良い感覚で打てている」。股関節の動きなどを一から見直し、ボールに対しての力の伝え方を模索してきた。

色紙には「優しさと芯を持つことが強さを生む」の意味を込めて「優芯強生」と記した。「今言っている『4年後プロ入り』が恥ずかしくならないように結果を出す以前に、日々の取り組みを大事にしていく」と思い描いた。決意と覚悟を胸に、新たなステージへと羽ばたく。【佐藤究】

○渡辺翔真(わたなべ・しょうま)2003年(平15)6月4日生まれ、埼玉県狭山市出身。小2冬から所沢リトルリーグで野球を始め、狭山台中時代は武蔵狭山ボーイズに所属。中3夏に全国大会で準優勝。同ジャイアンツカップに出場し16強入り。盛岡大付では1年春からベンチ入り。右投げ右打ち。175センチ、75キロ。家族は両親と兄、弟。血液型O。憧れの選手はソフトバンク今宮健太。

<関口監督長男・爽汰は学生コーチで>

新たな挑戦に踏み出す、決意を固めた。関口爽は、9年間の選手生活に終止符を打ち、学生コーチとして大学野球をスタートさせる。「野球の技術には限度がある。それよりもチームのためにと思い、学生コーチの道を選びました」と打ち明けた。

「選手として未練はありません」。関口爽はどこか吹っ切れた表情を浮かべ、力強く言い切る。盛岡大付では1度もベンチ入りすることはできなかった。春夏合わせて16度の甲子園出場を誇る、全国屈指の強豪校だ。現3年生だけでも43人の大所帯と熾烈(しれつ)なレギュラー争いは避けられない。「試合(公式戦)には出てみたかったけど、高校で結果を出せなかったのでしょうがない」と振り返った。今夏の甲子園では沖縄尚学との2回戦で記録員として“初ベンチ入り”。ずっと思い描いてきた、立ち位置ではなかったかもしれないが目標でもあった聖地で父関口監督とともに“親子共演”を果たした。「苦しいこともあったけど、高校3年間はやり切れた」と充実感をにじませた。

学生コーチの仕事は多岐にわたる。首脳陣と選手のつなぎ役を担うなど、1日の練習メニューを考えたりすることもある。現在は、ノックバットを振り込み、ノッカーとしての腕を磨いている。「学生コーチは、大事な役割を担っていると思うので、責任感を持ってやっていきたい」と気持ちを引き締めた。

色紙には「不退転」と、したためた。父の母校でもある東北福祉大で、関口爽が強い信念を持って第2の野球人生へと進んでいく。

○関口爽汰(せきぐち・そうた)2004年(平16)3月28日生まれ、盛岡市出身。小4から桜城スポーツ少年団で野球を始め、中学時代は滝沢岩手リトルシニアでプレー。3年夏に東日本選抜大会出場。同年夏に東北大会16強入り。右投げ右打ち。171センチ、72キロ。お気に入りの漫画はキングダム。好きな歌手は足立佳奈。憧れのプロ野球選手はソフトバンク松本裕樹。