センバツの熱戦が終わった。大阪桐蔭が圧倒的な力で優勝したが、代替出場の近江も滋賀県勢では春夏初の甲子園制覇まであと1勝に迫った。日刊スポーツでは「センバツ決勝の舞台ウラ」と題して熱戦の背景を連載する。

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甲子園の試合が終わったあとから、スマートフォンを肌身離さない人がいる。大阪桐蔭の前監督、長沢和雄さん(71)だ。着信音が鳴る。画面に「西谷」と映る。口を開くや「ご苦労さん!」とねぎらった。「監督インタビュー、見てるからな」。センバツ準決勝に快勝後、記者は大阪で長沢さんに会っていた。1本の電話に偶然、居合わせた。

話の内容までは分からない。でも、西谷監督の心根が伝わってきた。長沢さんは言う。「全試合、必ず電話がかかってきます。宿舎に戻ってすぐですね。欠かしたことがないんです」。スポーツメーカーに勤め、縁がある。高校訪問するなかで出会ったのが報徳学園(兵庫)の西谷主将だった。

大学進学、就職…。人生の節目で相談を受けてきた。関大をへて大阪桐蔭に導いたのも長沢さんだった。「満点のコーチでした。どういう練習をすべきか察知していた。練習させる勢いがすごかった」。西谷コーチは捕手だった。主にバッテリー部門を任せたという。「私の隣にピタッとついて。相手の監督と話しているのも、聞き耳を立てていた。情報を頭に入れようとしていたんでしょう」。91年夏の甲子園を制していた長沢さんは後を託した。

西谷監督とは共通点がある。「お互い野球が好きでたまらない」。いまは球場に行かず、テレビで試合を観戦する。愛弟子の姿を見て「ジャンパー、パンパンや」と言う。理由は分かっている。「西谷君は練習後も、寮に行って、見てやらないといけない選手にバットを振らせている。(午後)10時半、11時半に帰宅してそこから食事をする。食べてすぐ寝るんでしょう」。恰幅(かっぷく)の良さは野球に生きている証しだろう。

西谷監督として甲子園通算72試合。長沢さんは電話で話し続けた。「愚痴は言わない。選手の誰々が失敗したとか言わない。いいチームを作りたい情熱が伝わってくる」。あるとき、気づいた。「大会前に『ケガ人が出ているので大変です』と言ってくるときは、だいたい勝っている。それだけ練習しているということ」。口癖があるという。「いい報告をできるよう頑張ります」。大口をたたくことはない。謙虚で実直で律義。西谷監督の素顔を垣間見た。【酒井俊作】