佐賀大会決勝は、有田工が神埼清明に3-2で逆転勝ちを収め、昨夏3回戦で敗れた雪辱を果たすとともに、春夏連続の甲子園出場を決めた。夏は9年ぶり2度目。塚本侑弥投手(3年)が2失点完投、1番打者としても2安打1打点と奮闘。勝負どころでのナインの結束力が実を結んだ。

口数少なく、大はしゃぎしない塚本の目の前に、甲子園出場を決める打球が飛んできた。捕って丁寧に一塁へ送り、1点差で逃げ切った。主将の上原(かんばる)風雅捕手(3年)と抱き合うと、突進したナインの壁で、168センチの塚本の体は見えなくなった。

苦しい展開だった。2回表に2点を失い、中盤までの攻撃もスクイズ失敗などチグハグ。ただ、ナインは信じていた。「2点差で残り3イニングならなんとかする」。梅崎信司監督(42)も、その時を待った。

昨年7月18日、同じ球場。両校は3回戦で対戦し、中盤までに2点を奪った有田工に対し、神埼清明が終盤追いつき、延長10回に決勝の1点を挙げていた。梅崎監督が「点差も同じで、今回はこちらが」と感じた通りの逆転劇は7回裏だった。死球から1死二塁とし、塚本の中前適時打など3連打と犠飛で同点。さらに犬塚康誠外野手(2年)が勝ち越しの中前打を放つ。有田工ナインはしたたかだ。塚本は「8、9回は(投球の)ギアを上げました」と平然とした顔だった。

監督と選手の考えの相違などから、チーム内がギクシャクした時期があったという。しかし、根っこの部分、夏の甲子園へ行きたいという思いは同じ。大会前に部内で背番号投票を行った際、山口洸生二塁手(3年)は「8月9日の監督の誕生日は、甲子園の宿舎で祝いたい」とつづった。梅崎監督は「泣けますよね」と、目を潤ませた。

山口洸は準決勝の東明館戦の守りで打球に飛び込んだ際に左肩を痛め、亜脱臼と診断されて決勝は不出場。それでも「甲子園までには、肩は治ると言われています」と、やる気満々だ。今春センバツは初戦で国学院久我山(東京)に2-4で敗れたが、夏は負けない結束力で突き進む。

◆有田工 前身は「勉脩学舎」で陶磁器産業技術者を養成。1900年(明33)に佐賀県立工業学校有田分校として創立。48年から現校名。電気科、デザイン科、セラミック科、機械科がある。生徒数は495人(女子141人)。野球部の創部は創立年で、部員39人。甲子園は22年春に1度で夏は2度目。主な卒業生は日本ハム古川侑利、俳優の白竜ら。佐賀県西松浦郡有田町桑古場乙2902。山崎哲也校長。