長らく深紅の優勝旗に届いていない東北勢。だがその間もプロ野球チームが誕生し、世界に名をはせる二刀流選手が育まれた。その影響が静かに波及し、みちのくの野球のレベルは着実に上がった。今大会は6校中5校が初戦を突破し、ベスト4に仙台育英と聖光学院が残り、夏の大会初の準決勝での東北対決も実現した。「みちのく力」を深掘りする。

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花巻東(岩手)の大谷翔平投手(現エンゼルス)が12年夏の岩手大会準決勝でたたき出した衝撃の「160キロ」から10年。十数年前まで甲子園の抽選会で東北勢に当たると、対戦校から拍手が湧き起こる時代が長く続いていた。だが、今は違う。東北勢がここ10年で弱小イメージを払拭(ふっしょく)できたのは「大谷効果」による東北6県全体の打撃力底上げにあった。

先鞭(せんべん)をつけたのは光星学院(現八戸学院光星、青森)だった。田村龍弘(現ロッテ)北條史也(現阪神)の2枚看板を擁し11年夏から3季連続甲子園準優勝。強打が自慢の大型チームだった。当時、同校の総監督を務めていた金沢成奉氏(55、現明秀学園日立監督)が今や全国の強豪校が取り入れている「近距離打撃」を東北勢でいち早く導入していた。

きっかけは10年春の東北大会で仙台育英に喫した屈辱の17三振での敗戦。同時期に全日本大学選手権を観戦していた金沢氏は早大の練習法を持ち帰った。打撃マシンを通常の18・44メートルではなく13メートルの位置に立たせ、始動を早めることで球を見極め、速球に対応できるようにさせた。体が前に突っ込む時間がないため軸も安定。低めのボール球を見切る訓練にもなった。

12年当時、青森の隣県岩手では盛岡大付・関口清治監督(45)が大谷翔平の160キロに迫る速球対策に心血を注いでいた。関口監督は東北福祉大の先輩に当たる金沢氏を頼り「近距離打撃」を導入。大谷対策で10メートルの位置に打撃投手を立たせる「超近距離」で同年夏の県決勝では見事に大谷を攻略した。

関口監督 大谷君が入学して3年間は対策を練らないといけないわけですから。160キロまで出るとは思いませんでしたけど(笑い)。あのレベルの投手に打ち勝たないと甲子園には出られないし、全国制覇もできない。大谷君対策の打撃練習は今も続けています。隣県の強豪校は大谷君と練習試合をすることで、すごさを肌で感じることができる。東北全体のレベルアップに間違いなくつながったと思います。

打撃力が飛躍的に向上した光星や盛岡大付にならい、その後、東北では「近距離打撃」が一気に普及。花巻東・菊池雄星(現ブルージェイズ)や大谷、大船渡・佐々木朗希(現ロッテ)らの超高校級投手の出現→対策を練る、というサイクルが東北全体の打撃レベルを向上させ続けている。かつて東北勢につきまとっていた「貧打」は今や昔の話。100年以上も閉ざされてきた重い扉を、力強くバットでこじ開ける。