東海大菅生(東京)の先発は、背番号11右腕の末吉陽輝投手(3年)だった。内角を突く強気の投球で、大阪桐蔭打線を2回2安打無失点。見事に役割を果たした。「打者の反応を見ながら、左打者のインコースに自信を持って投げられました」と話した。

地元に少年野球のチームがなかったため、ソフトボールで捕手としてプレー。拓大紅陵(千葉)でエースだった父・一順さん(かずゆき=41)とキャッチボールをするなど、いつも野球が身近だった。17年夏の甲子園で4強入りした東海大菅生を見て憧れ、小学生のころから進学を決意していた。実際に縦じまのユニホームを着て甲子園でチームを背負って先発し「すごくうれしかった。おいしいところをもらった、と思って投げました」。

大阪桐蔭との聖地での対戦は21年夏の初戦、8回途中降雨コールドで負けて以来。当時1年生でアルプスでカッパを着てずぶぬれになりながら試合を見ていた。「自分の中で意識していて、先輩の借りを返すつもりだった。自分たちの代で優勝できるように夏帰ってきたい」と力強く話した。