広島商の選手、監督で全国制覇を果たした川本幸生(かわもと・ゆきお)氏が11日午前10時11分、大腸がんのため広島市内の病院で亡くなった。53歳だった。

 73年の全国高校野球選手権大会で2年生ながら正二塁手として、広島商の優勝に貢献。卒業後は広島修道大から社会人野球のリッカーでプレー。85年8月に母校監督に就任した。88年夏の決勝で福岡第一と対戦。エース前田幸長(元巨人)、主砲・山之内健一(元ダイエー)を擁したチームを1-0で退け、6度目の優勝に導いた。大会計26犠打で最多記録を更新。伝統のお家芸を金属バット全盛の時代に多用し「広商が目指す野球は間違っていなかったということ」と揺るがぬ信念を見せた。06年に監督復帰も、体調を崩し翌年に退任していた。葬儀・告別式は14日午前11時から広島市佐伯区五日市中央7の3の10、平安祭典広島西会館で。喪主は妻弘子(ひろこ)さん。

 達川光男氏(広島商時代、川本氏の1年先輩)「1学年下の後輩が亡くなるのは、早すぎるしショックです。印象に残っているのは、彼の嗅覚(きゅうかく)、感性の鋭さです。二塁から私のサインを見て、打球方向を予測し、投手よりも前に守備位置を変えていました。ご冥福をお祈りします」

 如水館・迫田穆成(よしあき)監督(広島商元監督で川本氏の恩師)「1年前に入院し、3日前に病状が悪化したと聞いて覚悟はしていましたが、寂しいです。昭和48年当時の教え子は私にとって家族のようなものですから。攻守両面でかけがえのない選手でした。本人ももう1度野球の仕事をしたかったと思います」