静岡県秋季高校野球地区大会は明日15日、最後に西部が開幕する。浜松学院は今大会から、東海大相模(神奈川)のエースとして92年センバツで準優勝し、翌年近鉄に入団した吉田道監督(37)が指揮を執る。今年5月に高校野球指導者の資格を認められ、県内では常葉学園菊川の佐野心前監督(45)以来、2人目のプロ野球経験監督となった。高校時代にあと1歩届かなかった甲子園の頂点を選手と共に目指す。意気込みを聞いた。

 先月15日に夏2回戦敗退を喫した浜松学院が、吉田新監督の下で新たなスタートを切る。今年4月に社会科教諭として着任したばかりでチームを見てまだ約1カ月。念願の高校野球監督にも「感慨に浸っている余裕はない」と、やることは山積している。それでも、時間がない中で打った布石から吉田監督の哲学は伝わる。重視するのは守備だ。

 夏までのチームで一塁手兼投手だった河合航己(2年)を右翼手兼投手にした。内野陣は1試合を通じて動かしたくないという配慮だ。さらに、内野手だった丹生徳天(にお・とくてん=2年)を直球の球威から投手に抜てき。制球力を上げるために右上手投げから横手転向を勧めた。「投手はストライクが入るか入らないかだけ。打たせればいい」。守備からリズムを作る骨格は出来上がった。

 指導のベースは高校時代の恩師村中秀人監督(現東海大甲府監督=53)の考え方にある。「できることをやりなさい」と言われ、打者としてはバントとエンドランのサインで打球を転がすことだけ求められたという。一方、投手としては同期10人に勝つために、変化球、制球力、フィールディングと自ら進んで技術を身に付けていった。「武器を持つために考える力をつけてほしい。当たり前のことが増えていけば」。基本を積み重ねることで自分はプロにたどり着いた。教え子にも自分で考える環境作りを目指す。

 興誠時代の02年夏以来の甲子園出場には選手以上に燃えている。「高校野球をやる以上は全国制覇しないとうそですよ。親善試合じゃないんだから」。それでも「勝った気になるのが怖いので先は見させない」と「全国制覇」と「一戦必勝」のバランスにも注意を払う。自身、センバツ準優勝で甲子園のアイドルとなった。全国制覇の夢が持ち越した夏、県大会準々決勝で敗れた。目の前の一戦の重みを知った横浜商戦から20年。18日の浜松開誠館戦で初陣を迎える。【石原正二郎】

 ◆吉田道(よしだ・とおる)1975年(昭50)1月15日、豊田町(現磐田市)生まれ。豊田中時代は浜松南リトルシニアに所属。東海大相模からドラフト2位で近鉄に入団。故障もあり1軍登板はなく96年引退。その年末から今年3月まで民間野球塾の西島ベースボールクラブで中学生らに野球を指導。「指導者としてやるなら高校野球を」と、00年10月から日大の通信課程で教員免許を取得。08年9月から袋井特別支援学校御前崎分校、09年1月から天竜特別支援学校で講師として勤務。今年4月から浜松学院で世界史を教える。現役時代は180センチ、95キロ。右投げ右打ち。家族は妻と2男。血液型A。