<全国高校野球選手権:聖光学院2-1神戸国際大付>◇14日◇1回戦

 8年連続11度目出場の聖光学院(福島)が、神戸国際大付(兵庫)を下して5年連続で初戦を突破した。1-1の7回表から遊撃の守備についた7番石垣光浩(3年)が、その裏の2死一、二塁の好機に、右翼線へ二塁打を放って勝ち越した。聖光学院は19日の2回戦で佐久長聖(長野)と対戦する。

 聖光学院のレギュラー背番号6の意地だった。同点の7回2死一、二塁。石垣は初球、2球目と狙っていたスライダーが「切れていて打てなかった」。だがスイングするゾーンを腰から上にしていた。3球目は外角高めの速球。「体が勝手に反応した。(打球が)どこに行ったかも分からなかった」。右翼線ぎりぎりにポトリと落ちた。タイムリー二塁打になった。

 遊撃手として華麗なグラブさばきを誇る、チームの守備の達人。福島大会で打撃の調子を落として4回戦、準決勝、決勝と3試合スタメンを外された。打率も2割7分3厘で「悔しかった」とつぶやいた。この日も2年生の藤田理志に先発を譲った。それでもベンチで出番を待った。「チャンスは絶対来る。やってやろうと思いました」。

 9日、細谷裕信トレーナーから打撃のアドバイスを受け「股関節にタメ」(石垣)をつくった。右打ちの石垣は、スクエアの構えから左足を少し後ろに引いたオープンスタンスにした。「ボールが見やすくなった」。7回表から遊撃の守備につき、その裏の攻撃で打順が回ってきた。新打法の初打席で結果を出した。

 1年秋からベンチ入りした。昨春のセンバツに出場するなど早くから頭角を現したが、昨夏の甲子園では出番はなかった。耐える日々は何度も経験していた。斎藤智也監督(51)は「彼なりに鬱憤(うっぷん)がたまっていたのだろう。よく打ってくれた」とヒーローをたたえた。

 「もともと打撃は良くない」と、打の脇役を強調する石垣だが「福島大会から大差が多く、1点差を勝てたのは大きい」と目を見開いた。帽子のつばの裏には好きな言葉「俺ならできる」と書いている。「できる男」が、聖光学院の5年連続の初戦突破を呼び込んだ。【久野朗】

 ◆石垣光浩(いしがき・みつひろ)1996年(平8)4月11日、茨城県八千代町生まれ。下結城小1年の時、安静ファイターズで野球を始め投手と遊撃手。中学では常総シニアに所属し遊撃手。聖光学院では1年秋からベンチ入り。165センチ、67キロ。右投げ右打ち。家族は両親、祖父母、弟と妹。

 ◆5年連続勝利

 聖光学院が10年から5年連続勝利。夏の甲子園で5年連続勝利は98~04年明徳義塾(7年連続)以来で史上4校目。東北勢では青森山田の4年連続(05~08年)を上回る最長となった。